Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 民数記6章22~27節

聖書の黙想と適用 民数記6章22~27節(新共同訳 旧約pp.221-222)

(1) 主なる神による祝福(22~23節、27節)

 主なる神は、祭司アロンとその子らがイスラエルの人々に向かって祝福を宣言するよう(23節)、モーセを通して祝福の言葉を与えられた(22節)。神の民を祝福することは祭司に対する主なる神の命令である。主なる神はご自身の民に祝福を与えることを望まれる。
 それ故、祭司の祝福の祈りは「主」を中心にしてなされる。主なる神が祝福の源だからである。主なる神はアブラハムに「わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように」(創世記12章2節)と約束された。
 主なる神は祭司が「わたしの名をイスラエル人々の上に置くとき、わたしは彼らを祝福するであろう」(27節)と約束された。一方、主なる神は、マラキを通して、祭司が主なる神の言葉を「聞かず、心に留めず、わたしの名に栄光を帰さないなら」「わたしはあなたたちに呪いを送り、祝福を呪いに変える」とも警告している(マラキ書2章2節)。祭司が主なる神の言葉に従って祈る時、主なる神の祝福は民の上に留まる。

(2) 主なる神による守りと恵みと平安(24~26節)

 祭司が主なる神の御名によって祈る「祝福」(27節)は、イスラエルが神の民として生きていくのに必要な守りであり(24節)、恵みであり(25節)、そして平安である(26節)。この祝福の言葉の中に私達に必要な全てのものが含まれている。
 祝福には主に逆らう者(詩編37編28節)、飢え(同33編19節)、病気、戦いからの守り(詩編76編4節)も含まれる。これは、荒野での流浪を目前にしていたイスラエルにとって切実なことであった。主なる神だけが私達の一生の守り手であられる。また、主なる神はイスラエルの民に下さる恵みと平安には、物質的な豊かさや子孫の繁栄、健康や長寿なども含まれる(創世記24章1節、詩編127編3節)。
 主なる神が私達に御顔を向けて下さるとは、特別な関心と愛をもって絶えず顧みて下さるという意味である。もし主なる神が御顔を隠されるなら、私達には平安がなく、災いと苦難があるだけである(申命記31章17~18節)。主なる神はイエス・キリストをこの世に遣わされた。そして、主を信じる全ての者に絶えることのない平安を与えて下さる。