Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 民数記7章10~83節

聖書の黙想と適用 民数記7章10~83節(新共同訳 旧約pp.222-225)

(1) 信仰と感謝をもって献げる(10~17節)

 イスラエルの各部族の指導者は、幕屋を建て終えたことに感謝して、「祭壇奉献のための献げ物」をささげた(10節)。その際、指導者は「一日に一人ずつ」(11節)献げた。
 最初に献げたのは、ユダ族のナフションであった(12節)。イスラエル民族の祖ヤコブの長子はルベンであったが(創世記29章32節、49章3節)、彼がヤコブの側女ビルハと一緒に寝たため(同35章22節)、ルベン族ではなくユダ族が実質的に長子の役割を果たしてきた。イスラエルの人々が移動している時も、ユダ族が一番先頭を行進した。後にユダ族からイスラエルを治める王ダビデ、そしてイエス・キリストが出ている。
 ナフションは、銀の皿一枚、銀の鉢一個、穀物の献げ物(13節)、金の柄杓一つ(14節)、焼き尽くす献げ物(15節)、贖罪の献げ物(16節)、和解の献げ物を主なる神にささげた(17節)。ここには献げ物の正確な量と数が記録されている。主なる神は、献げた者の名前、数量まで正確に覚えておられる。
 主なる神は私達が信仰と感謝をもって心から献げるものを喜んで受け入れて下さる。後に主なる神はマラキを通して、イスラエルの人々が心からではなく、煩わしいと思いながらささげた「十分の一の献げ物と献納物」について「あなたたちは民全体で、わたしを偽っている」と言われた(マラキ書3章8~9節)。主なる神は私達の心をご存知であられる。キリスト者は毎週主の日に主なる神を礼拝する。そこで主なる神に献金をささげ、讃美をささげる。その礼拝が主なる神に喜ばれるものとなるように、主なる神に日々自分自身を献げよう。自分の涙でイエス・キリストの足を濡らし、自分の髪の毛で拭い、イエス・キリストの足に香油を塗った女のように(ルカによる福音書7章37~38節)、私達の全てを感謝と喜びをもって献げよう。

(2) 思いを一つにして献げる(18~83節)

 イスラエルの指導者は、各部族を代表して、1日に1人ずつ、12日かけて順番に献げ物をした。まず「ユダ族のアミナダブの子ナフション」が献げ(12節)、最後の日に「ナフタリの人々の指導者エナンの子アヒラ」が献げた(78節)。その順序は、臨在の幕屋の東側の宿営から時計回りになっている。
 各部族が献げたものは、種類、重さ、数量において皆一致している。どの部族も多く献げたり、少なく献げたりしなかった。しかし、日付と部族名と指導者の名前が違うだけで、後は何も変わらない内容が繰り返し記されていることには意味がある。
 第一に、主なる神は同じ献げ物が繰り返されても、うんざりされることは決してない。その中に信仰と感謝が込められているなら、主なる神はそれを受け入れ、祝福して下さる。キリスト者も、同じ讃美歌を歌う場合でも、そこで主なる神への感謝、救われた喜びを込めて歌うなら、歌う度に新しい歌になる。同じ聖書の言葉を聞いても、聞く度に心を新たにして「アーメン」と答えるなら、更なる従順へと一歩踏み出すことが出来る。主なる神の御前に集う度に、新しい心で礼拝を献げよう。
 第二に、どの部族も不平を言わず、決められた順序に従って、自分達の為すべき分を献げたこと、惜しみなく主なる神に献げたことを強調するためだろう。各部族は「穀物の献げ物としてオリーブ油を混ぜた上等の小麦粉」を「銀の皿」「銀の鉢」に入れて献げた。彼らは十分な準備をして、主なる神の御前に出た。自分達の力の限り、最善を尽くして主なる神に仕えた。私達も「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして」(ルカによる福音書10章27節)主なる神を愛し、礼拝しよう。