Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 民数記10章1~10節

聖書の黙想と適用 民数記10章1~10節(新共同訳 旧約p.229)

(1) 二本の銀のラッパ(1~7節)

 主なる神は万物を秩序をもって創造された。それ故、イスラエルの民の中にも秩序を立てられる。イスラエルの民が荒れ野の旅を始める前に、主なる神はラッパの音で合図の体系を作られた(2節)。臨在の幕屋を覆う雲が目に見える合図なら、ラッパの音は耳で聞く合図であった。主なる神の命令はラッパの音によってイスラエルの民に効果的に伝えられた。このような秩序が維持されるために、祭司はラッパを正確に吹かなければならなかった。そして、イスラエルの民はそのラッパの音をよく聞かなければならなかった。主なる神が立てられた共同体は、主なる神が定められた秩序に従って動く。信仰の指導者は主なる神の言葉を正確に伝えなければならず、神の民は主なる神の言葉をよく聞かなければならない。

(2) 主なる神の御前に覚えられる(8~10節)

 主なる神は私達の祈りをいつでも聞かれる。ラッパは「祭司であるアロンの子ら」だけが吹いた(8節)。これはイスラエルの民がやがて戦う戦争が聖なる戦いであり、主なる神の戦いであることを示している。自分達の「国に攻め込む敵を迎え撃つ」際に出陣ラッパを吹くことは(9節)、戦闘における主なる神の臨在を宣言し、主なる神に助けを求めるという意味を持っていた。主なる神はラッパの音を聞かれると、ご自分の民と結んだ契約の故に、民を敵から救われる(9節)。ラッパを吹くことは神の民の祈りを象徴する。私達が祈る時、主なる神の臨在を感じ、その助けを得る。祭司がラッパを手に握っていたように、キリスト者も手に祈りのラッパを握っている。主なる神は私達の祈りのラッパの音に耳を傾け、私達のことを覚えて下さる。