Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 民数記15章32~41節

聖書の黙想と適用 民数記15章32~41節(新共同訳 旧約p.239)

(1) 安息日の違反(32~36節)

 イスラエルの人々にとって安息日の遵守は神の民としてのアイデンティティを守るための重要な要素であった(出エジプト記20章10節)。もし自分の都合や利益のために安息日を無視するなら、彼らは主なる神への服従を蔑ろにすることになる。
イスラエルの人々が荒れ野にいたとき」、「安息日に薪を拾い集めている」男が見つかった(32節)。見つけた人々は彼を「モーセとアロンおよび共同体全体のもとに連れて」行った(33節)。しかし、彼を「どうすべきか」、主なる神から「示しが与えられていなかった」ため、彼を「留置」することにした(34節)。
 それに対し、主なる神は、モーセに「その男は必ず死刑に処せられる。共同体全体が宿営の外で彼を石で打ち殺さねばならない」(35節)と言われ、この男に対して断固とした処罰をお命じになった。
 安息日を無視した男に対する死刑は、主なる神の言葉に従わないことがどのような結果をもたらすかを示している。「故意に罪を犯した者」(30節)は主なる神から厳しい罰を受ける。この出来事を通して、主なる神は、私達が主なる神の言葉に背くことの深刻さと破壊性を、そして主なる神の言葉をいつも思い起こし、行うことの大切さを教えられた。

(2) 衣服の房(37~41節)

 主なる神の言葉を守ることは、主なる神が喜ばれる生活の第一歩である。とはいえ、イスラエルの民がまさにそうであったように(14章2節)、私達も大いなる恵みを体験してもすぐに忘れてしまう。それ故、いかなる時でも主なる神の命令を思い出すことの出来る工夫が必要である。
 主なる神は、イスラエルの民がご自分の「すべての命令を思い起こして守り」(40節)、「自分の心と目の欲に従って、みだらな行いをしないため」に(39節)、「代々にわたって、衣服の四隅に房を縫い付け、その房に青いひもを付けさせ」(38節)た。
 主なる神は人間の弱さをよくご存知である。それ故、イスラエルの民が「神に属する聖なる者」(40節)となるために、彼らに主なる神の命令にいつも立ち帰る方法を教えられた。主なる神はイスラエルの民を「エジプトの国から導き出した」「神、主」(41節)である。私達も主なる神の言葉と祈りを通して主の御前にきよい者として生きる知恵と力を受けることが出来る。この世にあって神の民として相応しく生きることは、日常生活の中で主なる神の言葉を慕い求めることから始まる。