Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 民数記17章16~28節

聖書の黙想と適用 民数記17章16~28節(新共同訳 旧約pp.242-243)

(1) 十二本の杖(16~22節)

 主なる神は、モーセとアロンの権威を認めず反逆し続けるイスラエルの民に対し、ご自分が誰を指導者として選んだか、確かな証拠を示そうとされた。主なる神はモーセに、イスラエルの各部族の指導者――レビ族の指導者はアロン(18節)――の「名前を書き記し」(17節)た杖を「臨在の幕屋の中の掟の箱の前に置」(19節)くよう命じられた。その上で、ご自分が選んだ者の「杖は芽を吹くであろう」(20節)と告げられた。
「杖」を意味するヘブライ語(מַטֶּה [matteh])には「部族」という意味もある。それ故、12本の杖はイスラエルの12部族を象徴するものであった。そして、各部族の指導者の12本の杖を「臨在の幕屋の中の掟の箱の前」に置くことは、12部族が主なる神の御前に立っていることを意味した。また、木としては既に枯死している杖に「芽が吹く」というのは、主なる神の超自然的な力によるもので、誰にも否定出来ない奇蹟である。こうして主なる神は、モーセとアロンに対する「イスラエルの人々の不平を取り除」(20節)き、他の部族が彼らの権威についてこれ以上反論出来ないようにされた。主なる神はご自分がお立てになった指導者の苦しみを決して見過ごされない。
 一方、イスラエルの12部族は、皆神の民であるが、全ての人が指導者として、祭司として立てられるわけではない。どのような働きを任せられているか以上に重要なことは、どのような心で主なる神に仕えるかである。主なる神は私達がご自分に向かう心を御覧になっている。

(2) アロンの杖(23~28節)

 翌日、モーセが幕屋に入って行くと、掟の箱の前に置かれた12本の杖のうち、「レビの家のアロンの杖」だけが「芽を吹き、つぼみを付け、花を咲かせ、アーモンドの実を結んでいた」(23節)。アーモンドの白い実は清らかさと聖さの象徴である。主なる神は、この御業を通してご自分が全てを治めておられること、そしてアロンを祭司に任命したことを示された。
 その上で、主なる神はモーセに「アロンの杖を掟の箱の前に戻し、反逆した者たちに対する警告のしるしとして保管しなさい」(25節)と言われた。主なる神は、「コラとその仲間」の反逆、民の不満に対して恐ろしい裁きを下された。主なる神は私達にも特別な御業を行われることによって懲らしめや警告をお与えになることがある。その時、自分の罪を悔い改めて、反逆と不満を捨て、主なる神に対する感謝と讃美を選ぼう。主なる神は、枯死していた杖に命を吹き込まれたように、私達にも新しい命を与えて下さる。