Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 民数記18章1~7節

聖書の黙想と適用 民数記18章1~7節(新共同訳 旧約pp.243-244)

(1) 祭司の助け手としてのレビ人(1~4節)

 主なる神は、「主の幕屋に近づく者が皆死ぬのであれば、わたしたちは絶え果てるではありませんか」(17章27節)というイスラエルの人々の言葉を受けて、祭司とレビ人の任務について教えられた。
 祭司とレビ人は「共に聖所に関する罪責を負わねばならない」(1節)人々であった。アロンとその子らは聖所において祭司の務めを担い(1節)、主なる神に生贄を献げ、イスラエルの民の罪を贖う働きをした。他の人が祭司の職に欲を出したら裁かれた。一方、レビ族のうち、アロンとその子らを除く者は、祭司の「身近な助け手」(2節)として、祭司の「務めを助け」に協力し、「幕屋全般の務めを果た」した(3節)。しかし、レビ人は「聖所の祭具および祭壇に絶対に近づいてはならな」(3節)かった。祭壇には祭司しか近づくことが出来なかった。
 祭司とレビ人は、臨在の幕屋で共に主に仕える働きを担ったが、夫々の役割は明確に区別されていた。これは、レビ人に対する差別でも、レビ人が祭司より劣っているということでもない。役割の違い、主なる神の召しの違いを意味した。主なる神はご自分の民に一人一人固有の召しを与えられ、為すべき務めを任される。主なる神によって与えられた役割が何であれ、それを喜びと感謝をもって受け入れ、忠実に果たす時、私達は主なる神の御心に適う共同体を形成することが出来る。

(2) 賜物としての祭司の務め(5~7節)

 主なる神が祭司に「祭壇および垂れ幕の奥にかかわる事柄について」(7節)任されたのは、主なる神の「怒りが再びイスラエルの人々に臨むこと」(5節)を防ぐためであった。レビ人は「主に属する者として」祭司を助け、「臨在の幕屋の作業に従事」し(6節)、民が聖所に入るのを防いだ。聖所に「一般の人が近づ」いて、主なる神の領域を侵した場合、その人は「死刑に処せられ」た(7節)。このように祭司とレビ人は聖なる神と罪ある人間の緩衝地帯としての役割を果たした。
 主なる神はアロンとその子孫に「賜物として」「祭司の務め」をお与えになった(7節)。主なる神から与えられた務めを担うこと自体が、彼らに対する主なる神の報酬であった。今日においても或る働きを通して主なる神に仕えることは、主なる神が私達に与えて下さる尊い賜物である。主なる神が私達にご計画を示して下さった時、自分のスケジュールを白紙にし、主なる神の御声に聴き従う者だけがその使命を果たすことが出来る。主なる神から使命を受けることは、自分が諦め切れなかった価値やビジョンを捨て、新たに生まれることを指す。自分の人生の計画を一旦置いて、主なる神の御声を聴くことに集中してみよう。