Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 民数記18章8~20節

聖書の黙想と適用 民数記18章8~20節(新共同訳 旧約pp.244-245)

(1) 祭司に与えられる献げ物(8~14節)

 主なる神のために働く人には主なる神ご自身からの報酬がある。主なる神は祭司アロンに「あなたはイスラエルの人々の土地のうちに嗣業の土地を持ってはならない。彼らの間にあなたの割り当てはない」(20節)と言われた。その一方で、アロンに「イスラエルの人々が聖なる献げ物としてささげる献納物の管理を任せ、その一部を定められた分として」(8節)与えることを約束された。祭司はイスラエルの人々が主なる神にささげた「穀物の献げ物、贖罪の献げ物、賠償の献げ物」を食べることが出来た(9~10節)。また、カナンの地で収穫された「最上のオリーブ油、極上の新しいぶどう酒、穀物など、主にささげられた初物」(12節)にも与ることが出来た。
 主なる神は、「イスラエルの人々がささげた」献げ物が祭司のものとなることについて、「不変の定め」(11節、19節)、「あなたとあなたの子孫に対する永遠の塩の契約」(19節)と言って、その不変性を強調された。これが臨在の幕屋で主なる神に仕える祭司に対する報酬であった。それによって主なる神は、祭司が生活の心配をすることなく、主なる神の働きだけに専念出来る環境を作られた。
 主なる神に仕えることには様々な苦難が伴う。しかし、主なる神はご自分の僕を決してお見捨てにはならない。ご自分に仕える者の必要をご存知であり、その僕が生活を維持出来るよう責任を持って下さる。主なる神は私達の献身に対して神の国の良いもので報いて下さる。

(2) 主なる神のものである初子(15~20節)

 主なる神は祭司アロンに「人であれ、家畜であれ、主にささげられる生き物の初子はすべて、あなたのものとなる」(15節)と約束された。祭司は「牛、羊、山羊の初子」を「宥めの香り」として「燃やして主にささげ」た後(17節)、その肉を与えられた(18節)。また、「イスラエルの人々が主にささげる聖なる献納物」には、祭司だけでなく「共にいる息子たち、娘たち」も与ることが出来た(19節)。但し、「人の初子」と「汚れた家畜の初子」は、生贄にしてはならず、「贖い金を支払う」ことによって「必ず贖わねばならな」かった(15~16節)。「贖う」とは「身代金を払う」という意味である。
 全ての初物は主なる神のものであるという考えは、エジプトにおける初子の死の出来事を背景にしている。この時、主なる神はイスラエルの初子を生かされ、ご自分のものとされた(出エジプト記13章2節)。これはイスラエルの民全体が主なる神のものとなったことを意味する。主なる神はイエス・キリストを通して私達をご自分のものとされた。主なる神がイエス・キリストを代価として払い、私達を買われた。だから、私達の人生と働きを全て主なる神に委ねて忠実に進もう。