Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 民数記22章1~14節

聖書の黙想と適用 民数記22章1~14節(新共同訳 旧約p.251)

(1) イスラエルを恐れるモアブ王バラク(1~7節)

 イスラエルの人々が「エリコに近いヨルダン川の対岸にあるモアブの平野に宿営した」(1節)時、モアブの王バラクは「恐れを抱い」(3節)た。イスラエルの民が、アモリ人と戦い、その地を征服する様子を「ことごとく見」(2節)、また彼らが「おびただしい数」(3節)だったからである。
 バラクには、アモリ人の王シホンやバシャンの王オグのように(21章23節、33節)、全軍を召集して、イスラエルを迎え撃つ自信がなかった。そこでバラクは、「ユーフラテス川流域にあるアマウ人の町ペトルに住むベオルの子バラム」(5節)という呪術師を招聘し、彼の力を借りて、イスラエルの民に呪いをもたらそうとした。
 バラクは、バラムのもとに「占いの礼物を携え」(7節)た使者を送り、「この民はわたしよりも強大だ。今すぐに来て、わたしのためにこの民を呪ってもらいたい。そうすれば、わたしはこれを撃ち破って、この国から追い出すことができるだろう」(6節)と要請した。しかし、人間がどれほど陰謀を企てても、主なる神の民は絶対に滅びない。

(2) 呪術師バラムに対する主なる神の自己啓示(8~14節)

 主なる神はご自分の民でない者にも御心を啓示される。呪術師バラムは、自分を訪ねてきた「モアブとミディアンの長老たち」(7節)から、モアブ王バラクの要請を聞くと、主なる神との霊的交わりを試みた。
 それに対し、主なる神はバラムのもとに来て、語られた。これはバラムが自分の霊媒術をもって神を呼び出したのではない。主なる神がバラムのもとに行かれたのは、ご自分の御心を明確に知らせるためであった。バラクの招聘に応じてイスラエルに呪いをかけることについて、主なる神はバラムに「あなたは彼らと一緒に行ってはならない。この民を呪ってはならない。彼らは祝福されているからだ」(12節)と言われた。
 主なる神が選ばれた民は祝福を定められた人々である。キリスト者も、イエス・キリストが十字架において「わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださ」(ガラテヤの信徒への手紙3章13節)ったので、最早呪いの下にはない。そして、「アブラハムに与えられた祝福」は「キリスト・イエスにおいて」キリスト者にも及んでいる(同14節)。