Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 民数記22章15~30節

聖書の黙想と適用 民数記22章15~30節(新共同訳 旧約pp.251-252)

(1) バラクの家臣の要請とそれに対するバラムの態度(15~20節)

 モアブ王バラクは、バラムの呪術の力を認め、「前よりも多くの、位の高い使者」(15節)を派遣した。彼らはバラムに「どうかわたしのところに来るのを拒まないでください。あなたを大いに優遇します。あなたが言われることは何でもします。どうか来て、わたしのためにイスラエルの民に呪いをかけてください」(16~17節)と懇願した。バラクはバラムを買収することによって、バラクがイスラエルに対する主なる神の態度を祝福から呪いに変えてくれることを期待した。
 それに対し、バラムは、自分のもとにやって来たバラクの家臣に「たとえバラクが、家に満ちる金銀を贈ってくれても、わたしの神、主の言葉に逆らうことは、事の大小を問わず何もできません」(18節)と言った。しかし、それでいて要請を断固として拒み、使者をすぐに帰らせることはしなかった。バラムは「あなたがたも、今夜はここにとどまって、主がわたしに、この上何とお告げになるか、確かめさせてください」(19節)と招聘に応じる可能性を残した。バラムの曖昧で二面的な態度は、彼の狡猾さと欲深さを示している。バラムはバラクの使者が提示した待遇と報酬に魅力を感じたのである。富に対する執着は、私達の判断力を鈍らせ、役割を歪ませる。

(2) バラムとろば(21~30節)

 バラムは主なる神から「この民を呪ってはならない。彼らは祝福されているからだ」(12節)と既に示されていた。にもかかわらず、自分に破格の厚遇を提示してきたバラクの要請に心を動かされた。主なる神の御心を知りながら、バラムはバラクの誘惑も捨てられなかった。そのような彼に主なる神は「これらの者があなたを呼びに来たのなら、立って彼らと共に行くがよい。しかし、わたしがあなたに告げることだけを行わねばならない」(20節)と告げられた。バラムは「朝起きるとろばに鞍をつけ」、モアブに向かって出発した(21節)。
 モアブへの道中におけるバラムの行動は愚かそのものであった。彼の行動は、ろばの分別ある態度、開かれた目と対極をなしている。ろばは「主の御使いが抜き身の剣を手にして道に立ちふさがっているのを見」て、「道をそれて畑に踏み込んだ」(23節)。しかし、バラムの目には主の御使いが全く見えず、彼は「ろばを打って、道に戻そうとした」(23節)。それに対し、主なる神は「ろばの口を開かれた」(28節)。「わたしがあなたに何をしたというのですか。三度もわたしを打つとは」(23節)というろばの言葉はバラムの愚かさをよく表している。