Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 民数記22章31~40節

聖書の黙想と適用 民数記22章31~40節(新共同訳 旧約pp.252-253)

(1) 目が開かれたバラム(31~35節)

 呪術師バラムは「主の御使いが抜き身の剣を手にして、道に立ちふさがっているのを見」て、「身をかがめてひれ伏した」(31節)。バラムは事と次第によってはイスラエルの民に呪いをかけることも選択肢に入れて旅立った。しかし、主なる神の御使いがいつでも自分を殺すことが出来るのを知り、彼は強い衝撃を受けた。逆らう者の道を閉ざされるのは、主なる神の恵みである。
 その後、主なる神は、「もしも、意に反するのでしたら、わたしは引き返します」(34節)というバラムの言葉に対し、「この人たちと共に行きなさい」(35節)と言われ、バラクの家臣と一緒にバラクに会いに行くことを許された。その上で、バラムに「ただわたしがあなたに告げることだけを告げなさい」(35節)と命じられた。主なる神はご自分の民でない人間をも御心を示す道具として用いられることがある。

(2) バラクとバラムの会見(36~40節)

 モアブ王バラクは「バラムが来たと聞くと、モアブのアルまで行って迎えた」(36節)。王であるバラクがバラムを直接出迎えたことは、バラムに対する彼の期待の大きさを示している。バラクは「あなたを招くために、何度も使いを送らなければなりませんでした。どうして来られなかったのですか。あなたを優遇することがわたしにできないでしょうか」(37節)と述べ、自分がバラムに提示した待遇を確実に守り、その約束を果たす力があることを改めて示した。
 バラムは、主なる神の御使いの警告を思い出したのか、「御覧のとおり、あなたのところにやって来ました。しかしわたしに、何かを自由に告げる力があるでしょうか。わたしは、神がわたしの口に授けられる言葉だけを告げねばなりません」(38節)と答えた。
 しかし、バラクは更にキルヤト・フツォトで「牛と羊の群れを屠って、バラムに贈」(40節)った。このようなバラクの歓待はバラムの心を動揺させたことだろう。私達も何らかの思惑が潜んだもてなしに気を付けなければならない。それは私達が真実を語り、正しく評価することを難しくする。