Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 民数記22章41節~23章12節

聖書の黙想と適用 民数記22章41節~23章12節(新共同訳 旧約pp.253-254)

(1) バラムに会われる主なる神(22章41節~23章6節)

 モアブ王バラクと呪術師バラムは、「七つの祭壇を築き、七頭の雄牛と雄羊を用意し」(1節)て、神の臨在を待った。これは古代の近東社会において一般的に行われていた託宣の方法であった。バラムはバラクに「主はたぶん、わたしに会ってくださるでしょう。主がわたしに示されることは、何でもあなたに伝えましょう」と言って、「丘の頂に向か」った(3節)。主なる神はそこでバラムに臨まれた。
 主なる神は「わたしは七つの祭壇を築き、雄牛と雄羊をどの祭壇にもささげました」というバラムの言葉には何の関心も示されなかった。ただ、「バラクのもとに帰ってこう告げなさい」と言って、「バラムの口に言葉を授け」られた(5節)。
 主なる神がバラムに臨まれたのは、彼を通してバラクにご自分の御心を示されるためであった。逆に、人間が主なる神を操ろうとすることは、どのような方法であれ、愚かで不遜な態度である。

(2) バラムの第1の託宣(7~12節)

 バラムは主なる神がお与えになった託宣バラクに伝えた。バラムは「神が呪いをかけぬものに/どうしてわたしが呪いをかけられよう。主がののしらぬものを/どうしてわたしがののしれよう」(8節)と語り、イスラエルに呪いをかけるというバラクの願いは成就しないことを伝えた。
 また、バラムはイスラエルの民について「これは独り離れて住む民/自分を諸国の民のうちに数えない」(9節)と述べ、イスラエルがこれから諸民族の間で頭角を現すことを予告した。バラムは、イスラエルの未来を見ながら、「わたしは正しい人が死ぬように死に/わたしの終わりは彼らと同じようでありたい」(10節)と願った。
 バラムの託宣に対し、バラクは「あなたは、何ということをしたのですか。わたしは敵に呪いをかけるために、あなたを連れて来たのに、あなたは彼らを祝福してしまった」(11節)と言った。バラムの託宣イスラエルを祝福するという主なる神の御心を却ってバラクに知らせる結果となった。主なる神が定められたご計画は誰にも変えることが出来ない。そして、主なる神は、イスラエルに対してそうであったように、キリスト者にもご自分の民としての身分と希望ある未来を約束されている。