Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 民数記23章13~26節

聖書の黙想と適用 民数記23章13~26節(新共同訳 旧約pp.254-255)

(1) バラクによる再度の呪いの要請(13~17節)

 バラク王は呪術師バラムに「わたしと一緒に別の場所に行って、そこから彼らを見てください。見えるのは彼らの一部にすぎず、全体を見渡すことはできないでしょうが、そこからわたしのために彼らに呪いをかけてください」(13節)ともう一度要請した。バラムが、「イスラエルの無数の民」(10節)を見て、圧倒され、呪いをかける代わりに祝福を語ったと思ったのだろう。
 そこで「バラクはバラムをピスガの頂の見晴らしのきく所に連れて行き、そこに七つの祭壇を築」(14節)いた。そして、バラムにイスラエルを呪わせようとした。しかし、主なる神が宣言されたことは場所や状況の影響を受けない。場所をいくら変えようが、ご自分の民を祝福しようとされる主なる神の御心を変えることは出来ない。主なる神が「バラムに会い、彼の口に言葉を授け」(16節)られたのは、イスラエルがご自分の民として祝福の内にあることをバラクに示すためであった。

(2) バラムの第2の託宣(18~26節)

 バラクの要求に対し、バラムは再び託宣を述べた(18節)。バラムは主なる神のご性質について語る。その上で、主なる神がイスラエルに与えると約束された神の祝福を自分が「取り消すことはできない」(20節)と宣言した。主なる神は、「人ではないから、偽りを語ることはな」く、「人の子ではないから、悔いることはな」く、「言われたことを、なされないこと」も「告げられたことを、成就されないこと」も決してない方である(19節)。
 また、主なる神はバラムを通してご自分が「エジプトから」「導き出された」(22節)イスラエルの将来を示された。主なる神は「その働きを時に応じて」イスラエルに告げ、示される(23節)。彼らの未来は主なる神の御手の内にあるので、「まじない」も「占い」も全く無意味である。その上で、バラムは、イスラエルを勇猛な「雌獅子」「雄獅子」に喩え、彼らは「獲物を食らい、殺したものの血を飲むまで/身を横たえることはない」と預言した(24節)。主なる神が王として共におられる以上(21節)、いかなる民族も彼らを呪うことも滅ぼすことも出来ない。
 現在もサタンが神の民から祝福を奪おうと日々躍起になっている。しかし、主なる神がご自分の民に告げられたことは、いかなる妨げがあろうとも必ず実現する。主なる神は、ご自分の民の「髪の毛までも一本残らず数え」(マタイによる福音書10章30節)ておられ、ご自分の民を守り、祝福を注いで下さる。