Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 民数記23章27節~24章11節

聖書の黙想と適用 民数記23章27節~24章11節(新共同訳 旧約pp.255-256)

(1) バラクによる3度目の呪いの要請(23章27節~24章2節)

 モアブ王バラクはバラムを「荒れ果てた地を見下ろすペオルの頂に」(28節)連れて行き、自分のためにイスラエルに「呪いをかける」よう再度要請した(27節)。この時バラムはバラクに「わたしのために、ここに七つの祭壇を築き、七頭の雄牛と七匹の雄羊を用意しなさい」(29節)と述べている。彼自身はイスラエルに呪いをかける可能性も念頭に置いていたのかも知れない。
 しかし、イスラエルに呪いをもたらそうとする企てがなされればなされるほど、主なる神の御心もより明確に示された。その中でバラムは「イスラエルを祝福することが主の良いとされることであると悟」(1節)った。そして、「イスラエルが部族ごとに宿営しているのを見渡」すと、「神の霊」がバラムの上に臨んだ(2節)。それは主なる神がバラムを通してご自身の御心を伝達するためであった。

(2) バラムの第3の託宣(3~11節)

 バラムは3度目の託宣において重ねてイスラエルを祝福している。その内容は2つの喩えで表現されている。第一に、イスラエルの「住む所」(5節)は、「広がる谷/大河の岸の園のよう」に、「主が植えられたアロエの木」、「水のほとりの杉のよう」に(6節)、豊かに満たされ、栄える(7節)。
 第二に、イスラエルを「エジプトから」「導き出された神は」「野牛の角のよう」であり、イスラエルは「雄獅子」や「雌獅子」のように(9節)、「敵対する国を食らい尽くし/骨を砕き、矢で刺し通す」(8節)。どのような陰謀も主なる神の民を滅ぼすことは出来ない。逆に、イスラエルを「祝福する者は祝福され」、イスラエルを「呪う者は呪われる」(9節)とバラムは預言した。
 荒れ野における40年間の不信仰と不従順にもかかわらず、主なる神はイスラエルにこのような祝福をお与えになった。主なる神はご自分が選ばれた民を最後まで守られる恵み深い方である。