Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 民数記24章12~25節

聖書の黙想と適用 民数記24章12~25節(新共同訳 旧約pp.256-257)

(1) 王の出現に関するバラムの託宣(12~19節)

 呪術師バラムは、イスラエルが主なる神によって「祝福されて」おり、「この民を呪ってはならない」ことを初めから知っていた(22章12節)。にもかかわらず、モアブ王バラクが提示した破格の待遇に目が眩み、バラクの招聘に応じた。その後、バラムは、バラクの意向を受け、3度も場所を変えて、イスラエルを何とか呪おうとした。しかし、主なる神がそれを許されず、却ってイスラエルを祝福することになってしまった。
 その結果、バラムはバラクの怒りを買い、「お前を大いに優遇する」(11節)という約束も反故になった。バラムは、結局何も得ることなく、自分の民のもとに帰る羽目になった。利益に目が眩んで、愚かな駆け引きをする時、私達は人生を無駄にしてしまう。
 一方、バラムは、バラクのもとを去るにあたり、「後の日に」イスラエルがモアブに対して何をするか、託宣を述べた(14節)。バラムは「ひとつの星がヤコブから進み出る。ひとつの笏がイスラエルから立ち上が」(17節)ると語り、イスラエルにやがて一人の王(メシア)が現れることを予告した。そして、そのメシアの領導の下、イスラエルはモアブ(シェト)やエドム(セイル)を完全に打ち滅ぼす。その結果、彼らの土地はイスラエルの領土となる(17~18節)。
 モアブ王バラクはイスラエルに呪いをかけようと必死になった。しかし、結局のところ、バラムはイスラエルを逆に祝福することになった。それどころか、モアブの方が逆に呪いの宣告を受けてしまった。
 バラムの託宣は、後にメシアの予表であるダビデ王によって成就した(サムエル記下8章2節、13~14節)。そして、イエス・キリストは十字架と復活によって罪と死とサタンに既に勝利された。イエス・キリストのご支配が地上において拡大すればするほど、モアブやエドムに象徴される主なる神に敵対する勢力は縮小していく。バラムは「わたしには彼が見える。しかし、今はいない。彼を仰いでいる。しかし、間近にではない」(17節)と述べた。しかし、イエス・キリストは、聖霊を送り、世の終わりまでキリスト者と共に、キリスト者の内にいて下さる。主なる神は、私達の足を縛っている鎖を解き、私達が主なる神の祝福の中を歩むことが出来るようにして下さった。

(2) 周辺諸国に対する裁き(20~25節)

 バラムは、メシアの到来と共に、イスラエルに敵対した諸国の栄枯盛衰について預言した。アマレクは「諸国の民の頭」として一時期繁栄を誇った。しかし、最終的には「とこしえの滅びに至る」(20節)。カイン人も、「岩の上に」堅固な要塞を築き、そこで生活していた(21節)。しかし、彼らもアシュルによって「とりこに」なり、「必ず、焼き滅ぼされる」(22節)。そのアシュルも「北から軍団を組んで来る者」(23節)によって滅ぼされる(24節)。更に、「アシュルを苦しめ」た民族もまた、やがて「とこしえの滅びに至る」(24節)。
 神の民に敵対する者には未来がない。というのは、主なる神がそのようにされるからである。どれほど強大な権力、軍事力、膨大な富、呪術の力を持っていたとしても、主なる神の主権を認めず、主なる神が愛する民を苦しめる民族や人物の繁栄は長く続かない。最終的に救いと勝利と祝福を与えられるのは、主なる神を王と仰ぐ民である。