Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 民数記27章1~11節

聖書の黙想と適用 民数記27章1~11節(新共同訳 旧約p.261)

「ツェロフハドの娘たちの言い分は正しい。あなたは、必ず娘たちに、その父の兄弟たちと同じように、嗣業としての所有地を与えねばならない。娘たちにその父の嗣業の土地を渡しなさい」(7節)。

 古代近東において女性は財産のように考えられていた。そのためか、人口を数える時も女性は含まれなかった。このような文化の中で、ツェロフハドの娘達の申し出は、実現の見込みがあるようには思えなかっただろう。しかし、主なる神はこのことを通して、ご自身の公義を示して下さる。性別や貧富によって人間を差別されない神は、彼女達の嘆願についてモーセに語られる。
「あなたはイスラエルの人々にこう告げなさい。ある人が死に、男の子がないならば、その嗣業の土地を娘に渡しなさい」(8節)。
 主なる神は、ツェロフハドの娘達の願い通りのことを律法に加えられた。義なる神は、私達の小さな声にも耳を傾け、公平に裁かれる。
 その主なる神を信じる私達はどうだろうか。教会の中でも、金持ちと貧しい者、長く信仰生活を送っている者と最近信仰に入った者とを、自分の基準や好みによって差別してはいないだろうか。パウロはまさにそのような状態だったコリント教会に懇願している。
「さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい」(コリントの信徒への手紙一1章10節)。
 主なる神は、私達が苦しむ時に私達の声を聞き、答えて下さる。主なる神の義は差別がない。義なる神を信じるなら、義を行わなくてはならない。人を差別するのではなく、受け入れ、耳を傾けよう。