Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 ローマの信徒への手紙15章1~13節

聖書研究 ローマの信徒への手紙15章1~13節(新共同訳 新約p.295)

【概要】
 強い者は強くない者の弱さを担い、イエス・キリストがなさったように、おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきである。イエス・キリストが私達を受け入れて下さったように、私達も互いに受け入れなければならない。パウロは、主なる神がローマの教会の兄弟姉妹を喜びと平和と希望で満たして下さるよう祈った。

【歴史的背景】
 主なる神の恵みによって救われた共同体、民同士であっても、問題がないわけではない。ローマの教会は様々な背景を持つ人々によって構成されていた。夫々が育ってきた環境、価値観、考え方が全く違うため、意見が合わないことは日常茶飯事であった。また、ローマの教会には「強い者」もいれば、「強くない者」もいた(1節)。その大きな要因となったのは食べ物のことだったようである。「信仰の弱い人」(14章1節)は、肉を食べずに野菜だけを食べ、ぶどう酒も飲まず、特定の日を他の日よりも特別であると考えた。それに対し、信仰の強い人は、何でも自由に食べ、全ての日を同じように考えた。そのことを伝え聞いたパウロは、彼らをその問題よりも大きな主なる神に目を向けさせた。食べる人は食べない人を軽蔑してはならず、食べない人は食べる人を裁いてはならない(14章3節)。神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びである(14章17節)。だから、イエス・キリストが私達を受け入れて下さったように、互いに受け入れ合わなければならない。互いに裁くことを止め、共に主なる神をほめたたえ、栄光を献げなければならない。

【釈義】
5~7節 あなたがたも互いに相手を受け入れなさい
 本節でパウロが告げていることは、12章からこれまでパウロが勧めてきたことを核心的に要約している。パウロは互いを受け入れ合うように命じている。重要なことは、一つの体である夫々のキリスト者が兄弟姉妹として、家族として互いを受け入れ合うことである。心を一つにすることが出来なければ、キリストの体として証しすることは出来ない。それ故、信仰の実践の中で最も優先されるべきことは、互いを受け入れ合い、一致することである。パウロはそのことを、「キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱」(5節)き、「心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえ」(6節)ることであると語っている。

【黙想】
 主なる神は「忍耐と慰めの源」(5節)であり、また「希望の源」(13節)である。だから、主なる神から目を離さずにいれば絶望することはない。落胆した者は聖書を読み、傷ついた者はイエス・キリストに出会わなければならない。ローマの教会に対するパウロの祈りは実に愛に満ちている。それは、主なる神が望まれるように、信仰者がイエス・キリストに倣い、心を合わせて互いを受け入れ、主なる神に栄光を献げるための祈りである。主なる神の愛に応えて、自分とは考えの異なる人も受け入れることの出来る信仰者となれるように祈り求めよう。

【適用】
 私達は皆主なる神の特別な目的によって造られ、特定の時代、特定の場所に遣わされている。だから、私達を遣わされた方の御心、創造された方の考えが最も重要である。主なる神を礼拝するとは、自己中心的な考えや態度を捨てることである。代わりに、主なる神の喜びと栄光のために生きることである。
 互いを受け入れ、顧みることは難しいことである。他の人を受け入れたら、自分自身がなくなってしまうのではないかと恐れるからである。人間には包容力や犠牲の心はない。しかし、心の中心に主なる神とその御心を迎えるならば、主なる神が栄光を受けられ、世が与えることの出来ない喜びと平和と希望が心に満ち溢れるだろう。

【祈り】
 信仰の弱い人のために個人の自由や権利を自制する成熟した共同体を建て上げ、全ての者が声を合わせて主なる神を高らかにほめたたえることが出来ますように。