Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 民数記33章38~56節

聖書研究 民数記33章38~56節(新共同訳 旧約pp.273-274)

【概要】
 祭司アロンがホル山で死んだ。主なる神は、イスラエルの人々がカナンの土地に入る時、その土地の住民を全て追い払い、偶像を全て粉砕し、異教の祭壇を悉く破壊し、氏族ごとにくじを引いて、その地を嗣業の土地とするように言われた。そして、もしその土地の住民を追い払わなければ、彼らはイスラエルの民を悩ますようになると警告された。

【歴史的背景】

【釈義】
50~56節 カナン征服のための命令
 未征服の土地はまだ多く残っていたが、ガド族、ルベン族、マナセの半部族が嗣業の土地を割り当てられたことによって、土地に対する主なる神の約束は部分的に成就した。約束の地カナンが目の前にあることを示すために、33章ではイスラエルがエジプトを出発してから、「エリコに近いヨルダン川の対岸にあるモアブの平野」(48節)に到るまでの旅程が回顧されている。
 それに続いて、イスラエルの人々が「ヨルダン川を渡って、カナンの土地に入るとき」、どのようにカナン人に接し、どのように地を割り当てるのかについての命令が与えられ(51節)、もう一度土地の分配に関する原則が提示されている(54節)。人数の多い部族には嗣業の土地を多くし、人数の少ない部族には嗣業の土地を少なくすること、またくじを引いて土地を分けることは26章54~55節の命令を思い起こさせる。「くじ」(גּוֹרָל [goral])は、神の御心を尋ね求める道具で、小石などを投げることによって御心を探った。くじを土地の分配の手段にしたのは、主なる神が主権をもって導かれる最も公平な道具だったからである。
 民数記の最後の5つの章は、土地以外の契約には触れていない。民数記の最後に登場する土地に関する律法(33章50節~36章13節)は、主なる神が彼らにカナンを征服させ、この律法に服従出来る環境を与えられることを意味している。即ち、この律法は、カナンの地が彼らのものになるという約束の成就を保証している。
 主なる神は、土地に関する律法において、カナン人を追い出し、その地からカナン人の宗教を痕跡も残さないほどに根こそぎ引き抜くことをまずお命じになっている(52節)。この命令を成就することによって、イスラエルはカナンを所有し続けることが出来るのである。主の命令に従うなら、イスラエルはカナンで祝福を受ける。しかし、彼らが主の命令を守らないなら呪われる。単に残っているカナン人に敗北するだけでなく、主によって滅ぼされる。
 カナン人を完全に追い払えない場合に起こることが55~56節で説明される。これは呪いの警告であり、旧約に登場する他の契約条項にも登場する(出エジプト記23章33節、34章11~13節、申命記7章1~5節、28章15~68節、ヨシュア記23章12~13節)。もしイスラエルカナン人を追い払わず、また彼らの宗教と偶像を粉砕しない場合には、その地に残っているカナン人が「目に突き刺さるとげ、脇腹に刺さる茨」、即ち悩みとなる。棘と茨は小さいけれども鋭くて痛い。のみならず、目に炎症を起こし、視力を失わせることも出来る。それと同じように、カナン人を少しでも残しておけば、それがイスラエルの未来に大きな問題を起こすことになる。それ故、カナン人を残しておくことは、愚かさを越えて罪なのである。主なる神はご自身に対する民の不従順に対する代価を返される。主なる神は、イスラエルが聞き従わないなら、カナン人に与えられる筈だった刑罰、即ちその地から追放されるという刑罰をイスラエルに対して行うと告げられた(56節)。

【黙想】
 主なる神がイスラエルの民に与えたカナンの地には、カナン人が堅固な町を作って住んでいた。イスラエルの民がその地を占領するためには、町を征服しなければならず、先住民を一人も残らず追い出さなければならなかった。そして、彼らの仕えていた偶像も一つ残らず粉砕しなければならなかった。彼らを追い出さずに残しておくなら、その者がイスラエルの民の「目に突き刺さるとげ、脇腹に刺さる茨」(55節)となって、遂には彼らに征服されてしまうと主なる神は警告された。
 霊の戦いにおいては、どれほど小さな罪と悪の根も残しておいてはならない。敵と妥協して共存することは、彼らに征服される発端となる。その根は、小さくとも知らないうちに広く張り、遂には生い茂る茨と棘を作り出す。だから、自分を誘惑するようなものがあれば、それを取り除かなければならない。自分はそれに打ち勝てると思うこと自体が、根を残すことである。主なる神はイスラエルの民に、一人残らず、皆追い払うよう命じられた。しかし、イスラエルの民は根を残したため、それが育ち、彼らを突き刺す巨大な棘となった。苦しくともしっかりと根を取り除こう。ヨセフのように、ポティファルの妻の手に着物を残してでも逃げよう。それが信仰を守ることになる。

【適用】
 主なる神は、イスラエルの民がカナンの地を征服した時、カナンの土地の住民を一人残らず追い払うように言われた。しかし、イスラエルの民の考えは違っていた。彼らには主の命令は行き過ぎたもののように思われた。それよりも、先住民を奴隷とし、統制して用いた方が賢明であると彼らは考えた。その地の民族を働かせたら、イスラエルの民は、楽で、豊かな生活をすることが出来る。それは合理的で、経験的にも正しいことのように見えた。また自分達にはそれが出来ると彼らは考えた。しかし、実際には思った通りにいかなかった。
 この世の知恵が主なる神の言葉よりも合理的であると感じられる時がある。しかし、主なる神の言葉の正しさが明らかになるのに、それほど時間はかからない。主なる神の命令には皆理由がある。主なる神はご自分の民のことを考えて、命令を下されている。だから、主なる神の言葉に従うべきであり、他のことを優先させてはならない。どんなに小さく見えても、罪と悪が与える影響は、私達が考える以上に大きく深い。主なる神の言葉を軽んじ、罪と悪に妥協すると、それが大きな危険をもたらすことになる。

【祈り】
 始められた方は主なので、私の全ての救いの旅程を終わらせる方も主であると信じます。私の信仰の更なる成長のために、主の約束を掴むことが出来ますように。追い払い、断ち切り、滅ぼすべきものの前で、妥協することなく主の命令に従うことが出来ますように。