Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 民数記35章9~21節

聖書研究 民数記35章9~21節(新共同訳 旧約p.276)

【概要】
 主なる神は、イスラエルの人々がカナンの土地に入る時、逃れの町を定めるよう命じられた。過って人を殺した者が、共同体の前に立って裁きを受ける前に殺されることのないようにするためである。逃れの町はヨルダン川の東側とカナンの土地に計6つ定められた。しかし、故意に人を殺した場合には、その殺害者は必ず死刑に処せられた。

【歴史的背景】
殺人者に対する対処
 古代セム族の時代から、殺害された人の最も近い親族には、殺人者を追って殺す権利があった。しかし、それにより代々敵対する家が生じた。逃れの町はこれを防止する。殺人者は審理を受けて故意の殺人者と判定されれば血の復讐をする者に渡されるが、故意ではないと判断されれば、復讐する者を避けて逃れの町で保護された。しかし、君主の登場により、王が裁判によって殺人者に死刑を宣告したり、赦免したりするようになると、殺人者の保護は君主に一任された。殺人の裁判の証言には、最低2人の証人が必要であった。故意に人を殺した者は、逃れの町に入っても、祭壇の角を掴んでも引き出されて死刑にされた。殺人者には贖い金も許されなかった。

【釈義】
16~21節 故意の殺人に関する規定
 過って、または偶発的に人を殺してしまった者は、逃れの町で保護されたが、故意に人を殺した者は必ず死刑に処せられた。16~21節には故意の殺人の様々なケースが記されている。明確な証拠がある場合には、故意の殺人と判断され、死刑に処せられた。殺人に使われた道具の種類によって、殺人の意図が立証された(16~18節)。
 故意に人を殺した者の処刑は、「血の復讐をする者」(גֹּאֵ֣ל הַדָּ֔ם [gō-’êl had-dām,])、即ち殺された人の最も近い男の親類が行った(19節)。しかし、人を殺した者が被害者を憎んでいたことが立証されたり、相手に恨みを抱いていたという証拠がある場合、使われた道具に関係なく、単に人を突いたり、人に物を投げたり、人を殴りつけて死に到らせたとしても、意図的な殺人と認められた。血の復讐をする者は、その殺害者に出会ったら殺すことが出来た(21節)。

【黙想】
 故意に人を殺した者は逃れの町に身を避けることが出来ない。計画的に人を殺した者、悪意ある動機や敵意を持ち、機会を窺って人を殺した者も、逃れの町に入ることは出来ない。道具を用意して他の人に危害を加えたことは、意図があったとされる。人に危害を加えようとする敵意や怨恨があることも同様である。殺すための道具を使用したことは勿論、憎しみや敵意、恨みなど、隣人を愛さないことが罪であり、裁かれることである。

【適用】
 逃れの町に関する規定を見ると、主なる神が命を大切にしておられることが伝わってくる。逃れの町の規定は、私達に尊い教訓を与える。悪意なく罪を犯してしまった場合、逃れの町であるイエス・キリストに身を避けることが出来る。しかし、悪意を持って故意に罪を犯すことは、救いを拒むことなので、その心を変えない限り救われない。悪と罪を犯したことを悔い改め、心を変えて、主なる神の御前に謙らなければならない。

【祈り】
 命を大切にされる主よ、今日知らずに犯してしまった罪を悔い改め、私の永遠の避け所であられるあなたに縋ります。特に、親しい人や家族に対して言葉を慎み、忍耐をもって愛せるように私を憐れんで下さい。