Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 イザヤ書3章13~26節

聖書の黙想と適用 イザヤ書3章13~26節(新共同訳 旧約pp.1065-1066)

(1) シオンの娘の高慢(13~23節)

 美しさを慕い求め、自分の外見を飾ること自体は罪ではない。問題は外に表れている姿と内に隠されている姿との不均衡である。人は外見を見るが、主なる神は心を御覧になる。
 シオンの娘は、主なる神の御心に適うことよりも、人によく見られることに神経を使い、身を飾り、贅沢に暮らした(16節)。そのような彼女達の根本的な問題が「高慢」(16節)という言葉によく表れている。
 シオンの娘は高ぶり、自分で自分を高めようとした。そして、自分のことにしか関心がなかったので、「貧しい者から奪って家を満たし」(14節)たり、「貧しい者の顔を臼でひきつぶ」(15節)すような搾取が出来た。更に、彼女達は神の民でありながら、主なる神を忘れ、迷信や異邦の風習に従った(20節)。そのようなシオンの娘に対し、主なる神は「飾られた美しさ」を全て奪うと言われた(18節)。

(2) 美しさは恥に変わる(24~26節)

「その日」(18節)、即ち主なる神の裁きが臨む日、シオンの娘の生活は一変する。主なる神が彼女達の愛用品を全て奪われることによって、「芳香は悪臭となり、帯は縄に変わり/編んだ髪はそり落とされ/晴れ着は粗布に変わり/美しさは恥に変わる」(24節)。
 主なる神は外に表れていたものを除かれるだけでなく、隠されていた心の内を、そのまま表される。それは「外側は美しく見える」「白く塗った墓」が開き、その内側の「死者の骨やあらゆる汚れ」が臭いを放つようなものである(マタイによる福音書23章27節)。
 それだけではなく、彼女達と心を通い合わせ、罪を犯してきた「シオンの男ら」と「勇士」も裁きを受け、滅びる。今日、主なる神を忘れ、富と名誉と快楽を生きる目的にしている人々の末路も同様である。
 主なる神の裁きは既に始まっており、時が来れば、完全な姿で現される。主なる神に属しているもの以外に、永遠に保たれるものは何もない。