Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 士師記8章22~35節

聖書の黙想と適用 士師記8章22~35節(新共同訳 旧約pp.395-396)

(1) 罠となったエフォド(22~27節)

 イスラエル勝利の後、民はギデオンに「ミディアン人の手から我々を救ってくれたのはあなたですから、あなたはもとより、御子息、そのまた御子息が、我々を治めてください」(22節)と要請した。
 それに対し、ギデオンは「わたしはあなたたちを治めない。息子もあなたたちを治めない。主があなたたちを治められる」(23節)と言って、王になることを固く拒んだ。彼は、この戦いの勝利の主役が主なる神であり、主なる神だけがイスラエルの統治者であることをよく知っていた。
 ギデオンは、「戦利品として手に入れた」「金の耳輪」(24節)をイスラエルの人々から集めて、「エフェドを作り、自分の町オフラに置いた」(27節)。主なる神の御業を伝えるための徴としてエフォドを作ることを思い立ったのだろう。だが、エフォドを作ったことは、ギデオンの意図とは逆の方向に向かって行った。イスラエルが主なる神を礼拝する代わりに、エフォドを拝むという結果を招き、「ギデオンとその一族にとって罠となった」(27節)。
 人生の絶頂期が却って転落の始まりとなることがある。まことに謙遜に主なる神だけを崇めるために、私達は自己満足を求めず、軽率にならず、常に慎重に事を進めなければならない。
 また、徴が主なる神の教えを伝えるのを却って妨げる偶像となってしまうことがある。徴よりも重要なのは、私達が生活の場で主なる神の御心を行い、後の世代にも御心に従って生きるよう教えることである。

(2) 主を心に留めなくなったイスラエルの民(28~35節)

 ミディアン人を退けたことによって、「ギデオンの時代四十年にわたって国は平穏であった」(28節)。だが、平穏な時には主なる神を切実に求める思いも弱くなってしまう。この間、イスラエルは主なる神に熱心に仕えなかったのだろう。ギデオンにしても、「多くの妻」を持ち、彼女達によって70人の息子を生んだ(30節)。その一人が「シケムにいた側女」から生まれたアビメレクであった(31節)。
 その後、ギデオンが死ぬと、「イスラエルの人々はまたもバアルに従って姦淫し、バアル・ベリトを自分たちの神とした」(33節)。彼らは、「周囲のあらゆる敵の手から救い出してくださった彼らの神、主を心に留め」(34節)ず、その恵みを忘れてしまった。「イスラエルのために尽くし」(35節)たギデオンの功績も忘れ去られた。
 後の世代は前の世代が生きてきた様子を映す鏡である。後の世代の不信仰は前の世代の不信仰が反映された結果と言える。また、これは指導者が最後まで主なる神に真実に仕える手本を見せられなかった結果でもある。