Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 士師記7章1~8節

聖書の黙想と適用 士師記7章1~8節(新共同訳 旧約p.392)

(1) あなたが率いる民は多すぎる(1~6節)

 ギデオンと彼の率いる民は、ミディアン人を討つためにエン・ハロドのほとりに陣を敷いた(1節)。しかし、主なる神はギデオンに「あなたの率いる民は多すぎるので、ミディアン人をその手に渡すわけにはいかない」(2節)と言われた。戦いに出る民の数が多いと、ミディアン人に勝った時、イスラエルは「心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったと言う」(2節)に違いないからである。救いと勝利は、主なる神の一方的な恵みであり、人ではなくただ主なる神にのみかかっている。自分の力や知恵や経験の故であると誇ることは高ぶりである。キリスト者にはイエス・キリストの十字架以外に誇れるものは何もない(ガラテヤの信徒への手紙6章14節)。
 ギデオンは、民の数を減らすために、「恐れおののいている者」2万2千人を帰らせた(3節)。しかし、主なる神は「民はまだ多すぎる」(4節)と言われた。そこでギデオンは、残った民を連れて、水辺に下り(5節)、彼らの様子を見守った(6節)。彼は、主なる神が示される者と共に、ミディアン人との戦いに出て行かなければならなかった。
 主の戦いにおいて兵士が多いか少ないかはそれほど重要ではない。何故なら、主なる神が、戦いを指揮しておられ、味方になって下さるからである。主なる神が共にいて下さるならば、対抗出来る者はいない(詩編108編14節、ローマの信徒への手紙8章31節)。キリスト者は、状況が良くないように見えても、それを恐れてはならない。恐れは主なる神に対する不信から起きる。恐れを克服するためには、主なる神が共におられると信じること、主なる神は全能であられると信頼することが必要である。

(2) 勝利を約束される主なる神(7~8節)

 主なる神は、ギデオンに「手から水をすすった三百人をもって、わたしはあなたたちを救い、ミディアン人をあなたの手に渡そう」(7節)と約束された。残った300人の手には「糧食と角笛」が渡された(8節)。ギデオンと残った300人が頼れるのは主なる神だけである。彼らがこの戦いに勝利するためには、主なる神の言葉に信頼することしか残されていなかった。
 キリスト者が日々勝利するためにも、イエス・キリストの十字架と復活を信じる信仰と、主なる神の言葉に対する信頼がなくてはならない。聖書の言葉は真実であり、主なる神はご自身が語られた通りのことを為して下さるからである。その言葉に縋って戦いに臨むなら、必ず勝利することが出来る。そうして勝利することを主なる神は望んでおられる。