Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 イザヤ書17章12節~18章7節

聖書の黙想と適用 イザヤ書17章12節~18章7節(新共同訳 旧約pp.1087-1088)

(1) 諸国民のどよめき(17章12~14節)

「多くの民」が「海のどよめき」のように「騒ぎ立」ち(12節)、「国々」(13節)が「騒ぎ立つ大水」(12節)のように押し寄せてきても、「主が叱咤されると彼らは遠くへ逃げる」(13節)しかない。
 アッシリアは強大な力をもってユダを攻撃し、脅かしてくる。しかし、主なる神が立ち上がられる時、「山の上で、もみ殻が大風に/枯れ葉がつむじ風に追われるように」(13節)散らされる。「夕べには」「破滅が襲」うけれども、「夜の明ける前に」危機は「消えうせる」(14節)。
 主なる神はご自分の民を決して見捨てず、守られる。ご自分の民を攻撃し、その民から奪い取ろうとする者を必ず懲らしめられる。「これが我々を略奪する者の受ける分/我々を強奪する者の運命だ」(14節)とイザヤは言う。悲しいことに、このことを信じる人は余りにも少なく、体験する人もごく僅かである。しかし、「悪い者」であっても、「自分の子供には良い物を与えることを知っている」のだから(ルカによる福音書11章13節)、天の父は尚のことそうである。

(2) クシュとの陰謀(18章1~7節)

 アッシリアの脅威を感じたクシュ(エチオピア)――「遠くクシュの川のかなたで/羽の音を立てている国」(1節)――は、反アッシリア同盟を結成しようとユダに「使節を遣わ」(2節)した。しかし、イザヤは、主なる神がアッシリアを滅ぼされるので、そのような同盟は不要であることを知っていた。それ故、その使者にすぐクシュに帰るように言った(2節)。
 その上で、イザヤは、「世界の住民、地上に住むすべての人」に対し、戦いの前兆として「山に合図の旗が立てられたら、見る」こと、「角笛が吹き鳴らされたら、聞く」ことを呼びかけた(3節)。
 主なる神はすぐには行動されず、「黙して」状況に「目を注」がれる(4節)。しかし、時が来れば、「刈り入れ時」にぶどうの「枝を刃物で切り落とし/つるを折り、取り去」るように(5節)、アッシリアを裁かれる。その時、クシュの民は「万軍の主」に献げる「貢ぎ物」を持って「シオンの山」にやって来ることになる(7節)。