Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 イザヤ書19章16~25節

聖書研究 イザヤ書19章16~25節(新共同訳 旧約pp.1089-1090)

(1) ユダを恐れるエジプト(16~18節)

 主なる神がエジプトに臨まれる「その日」(16節)に多くの変化が起こる。「万軍の主」が「御手」を「振りかざされ」(16節)、「エジプトに対して事を謀られる」(17節)度に、彼らは「恐れおののく」(16節)。これはエジプトを撃たれる主なる神の権能を指している。かつてイスラエルをエジプトから救い出された時にも、主なる神はその大いなる御力と強い御手をもって彼らを撃ち、屈服させられた(出エジプト記3章19節、6章1節、32章11節)。
 また、その日には「ユダの地は、エジプトを混乱に陥れる」(17節)存在となる。主なる神がエジプトを撃たれるのは、ユダのためだからである。主なる神の裁きの中でエジプトは主なる神が守られる民を恐れるようになる(出エジプト記12章33節)。
 更に、「その日には、エジプトの地に五つの町ができ」、「そこでは、カナンの言葉が語られ」るようになる。そして、それらの町では「万軍の主」の御名が呼ばれ、主に対する忠誠の「誓いが立てられる」(18節)。自分がこれまで礼拝してきた偶像ではなく、主なる神に誓いを立てるのは、主なる神を信頼しているからである。このように、「その日」にはイスラエルが異邦人に似るのではなく、異邦人が神の民イスラエルに似てくる。

(2) 共に主なる神を礼拝するイスラエル、エジプト、アッシリア(19~25節)

 主なる神は、罪を悔い改めさせるために「必ずエジプトを撃たれる」(22節)。しかし、彼らが「主に立ち帰」る時、主なる神はエジプトにおいて救いの御業を行われる。主なる神は「彼らの願いを聞き、彼らをいやされる」(22節)。エジプトが「抑圧する者のゆえに、主に叫ぶならば、主は彼らのために救助者を送り、彼らを救われる」(20節)。
 こうしてエジプトも、イスラエルのように「主を知り、いけにえと供え物をささげ、また主に誓願を立てて、誓いの供え物をささげる」(21節)神の民となる。「エジプトの地の中心に、主のために祭壇が建てられ、その境には主のために柱が立てられる」(19節)というのは、エジプトが公的に主なる神に仕えるようになることを示している。
 また、「その日には、エジプトからアッシリアまで道が敷かれ」、アッシリア人とエジプト人が互いに行き交いするという驚くべきことが起こる(23節)。そして、イスラエルは「エジプトとアッシリアと共に、世界を祝福」し(24節、創世記12章3節)、主なる神を礼拝する。主なる神はそのような彼らを「祝福されよ/わが民エジプト/わが手の業なるアッシリア/わが嗣業なるイスラエル」(25節)と祝福される。