Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 イザヤ書24章1~13節

聖書研究 イザヤ書24章1~13節(新共同訳 旧約pp.1096-1097)

(1) 神の世界審判(1~6節)

 主なる神は世界を支配しておられる。イザヤは主なる神が裁きによって「地を裸にして、荒廃させ/地の面をゆがめて住民を散らされる」(1節)る様子を語る。その時、「わずかの者」を除いて、「地に住む者は焼き尽くされ」る(6節)。「民も祭司も、僕も主人も、女の僕も女主人も、売る者も買う者も、貸す者も借りる者も/債権者も債務者も、すべて同じ運命になる」(2節)。「彼らが律法を犯し、掟を破り/永遠の契約を棄てた」ことによって地が「汚され」(5節)、「呪いが地を食い尽くし」(6節)たからである。
 主なる神は、ご自分が定められた時に、定められた方法で裁かれる。私達には、主がいつどのように裁かれるのかは分からない。しかし、主なる神の言葉に聴き従わず、主との契約を守らないことが、主なる神が造られた地を汚しており、ひいては私達に災いと呪いを招くことを心に留める必要がある。

(2) 取り去られる喜びと楽しみ(7~13節)

 主なる神の裁きによってこの地は悲惨な状況になる。「喜びはことごとくうせ/地上の楽しみは取り去られ」(11節)る。
 具体的には「ぶどうのつるは枯れ」、「新しい酒」を飲むことが出来なくなるため(7節)、「酒を飲んで歌う人々もいなくな」(9節)る。「太鼓の音」、「竪琴の音」も絶え、「陽気な人々の騒ぎ」も「終わ」る(8節)。この世はどこも「ため息をつく」(7節)人、「入る者もない」「閉ざされ」た「家」ばかりになる(10節)。
 裁きの日になれば、町は混乱し、「破壊され」る(10節)。「荒廃だけが残」る「都」は(12節)、「公平が満ち、正義が宿っていた」「忠実であった町」(1章21節)と極めて対照的である。それはまるで創造の御業の前の混沌の状態に戻ったかのようである(創世記1章2節)。
 主なる神が定められた時に、「世界のただ中、諸民族の間で」このような裁きが起こる。「オリーブを探して打ち尽くす」農夫のように、「収穫の後になお/ぶどうを探す」農夫のように(13節)、主なる神は徹底してこの世界を裁かれる。