Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 イザヤ書24章14~23節

聖書の黙想と適用 イザヤ書24章14~23節(新共同訳 旧約p.1097)

(1) 主の御名を尊べ(14~20節)

 裁きの時に主に従う者は「声をあげ、主の威光を喜び祝」(14節)う。彼らは「東の地」にあっても、「海の島々」にあっても「主の御名を尊」び(15節)、「地の果てから」も「主に従う人に誉れあれ」という「歌声が聞こえ」(16節)てくる。
 一方、イザヤの周りにいたのは、主に逆らう者ばかりであった。そのため彼は苦しんだ(16節)。それでもイザヤは「地に住む者よ、恐怖と穴と罠がお前に臨む」(17節)と彼らに対する裁きを預言した。
 裁きの時、「恐怖の知らせを逃れた者」も「穴に落ち込み」、「穴から這い上がった者」も「罠に捕らえられる」(18節)。これは主なる神の裁きを逃れることの出来る人間は一人もいないということを示している。また、裁きの時、暴風雨や地震などの天変地異が起こり(18節)、地は裂け、砕け、揺れ動く(19~20節)。
 裁きの日は、主に従う者にとっては栄光の日であるが、主に逆らう者にとっては恐ろしい日となる。主なる神は私達に畏れを与えられる方である。主なる神が天地万物を造られた創造主であられることを受け入れた者は、畏れを持ってこの方の御前にひれ伏すことになる。

(2) 主の栄光が現される時(21~23節)

 裁きの日が来れば、主なる神は天と地のあらゆる権威を「罰せられる」。「高い天では、天の軍勢を/大地の上では、大地の王たちを」裁かれる(21節)。主なる神に敵対するあらゆる勢力が崩れ落ちる。彼らは「捕虜が集められるように、牢に集められ/獄に閉じ込められ」、「多くの日がたった後」に「罰せられる」(22節)。
 そして、「万軍の主がシオンの山、エルサレムで王とな」(23節)られる。「主の栄光が現される」ことによって、日と月の光は必要でなくなり、「月は辱められ、太陽は恥じ」ることになる(23節)。
 万軍の主が裁きを行い、エルサレムで王となられることをイザヤが預言したように、イエス・キリストはサタンと世の全ての悪を滅ぼし、主の栄光を現される。「この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである」(ヨハネの黙示録21章23節)。