Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 イザヤ書28章1~13節

聖書研究 イザヤ書28章1~13節(新共同訳 旧約pp.1102-1103)

(1) サマリアの陥落(1~6節)

 北イスラエルの首都サマリアは「冠」(1節、3節)に喩えられるほど美しい町であった。しかし、主なる神は、アッシリアを裁きの道具として用い、「激しく降る雹、破壊をもたらす大風/激しく押し流す洪水のように」サマリアを「地に投げ倒し」(2節)、「御足で踏みにじられる」(3節)。物質的な豊かさによって、彼らが「酒の酔いによろめく者」(1節)、「酔いどれ」(1節、3節)のように高慢と放縦に陥ったからである。
 その一方で、サマリアアッシリアに踏み躙られる「その日には」、「万軍の主」ご自身が「残りの者にとって麗しい冠、輝く花輪となられ」(5節)る。主なる神は、彼らを救い、彼らに栄光に満ちた報いを与えられる。
 主なる神に逆らう者は、「肥沃な谷にある丘を飾っている」花がやがて「しぼんでいく」ように、悲惨な結果を迎える(1節、4節)。しかし、主なる神に従う者は、主なる神の美しい冠をかぶることが出来る。主なる神は信仰を守り続ける「残りの者」の救いを確実に保証される。イザヤは裁きの預言者であり、慰めの預言者であった。

(2) 酒に酔った祭司と預言者(7~13節)

 神の民は主なる神の言葉に聴き従わなければならない。そして、祭司や預言者は主なる神の言葉を正しく伝えなければならない立場にあった。しかし、ユダでは、民だけでなく、「祭司も預言者も濃い酒を飲んでよろめき/ぶどう酒に飲まれて」(7節)しまっていた。彼らは酒に酔っていたため、「幻を見」(7節)ても誤って解き明かし、民を惑わした。
 それだけでなく、祭司も預言者も主なる神の言葉を嘲笑った。主なる神はユダの民に「これこそが安息である。疲れた者に安息を与えよ。これこそ憩いの場だ」(12節)と語られた。しかし、彼らはそれを真剣に聞こうとはしなかった(12節)。「ツァウ・ラ・ツァウ、ツァウ・ラ・ツァウ(命令に命令、命令に命令)/カウ・ラ・カウ、カウ・ラ・カウ(規則に規則、規則に規則)/しばらくはここ、しばらくはあそこ」(10節、13節)という表現は、ヘブライ語の類似した音の羅列である。酒に酔ったユダの民は、基本的な教えすらも聞き取ることが出来なかった。結局彼らは「つまずいて倒れ」、異邦人によって「打ち砕かれ、罠にかかって、捕らえられる」(13節)ことになる。