Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 イザヤ書28章14~22節

聖書の黙想と適用 イザヤ書28章14~22節(新共同訳 旧約pp.1103-1104)

(1) シオンの隅の石(14~19節)

 ユダは、世の風潮に流され、主なる神よりも人や外的な条件をより意識した。北イスラエルの滅亡による経済的な利益に目が眩み、主なる神に対する畏れを捨てた。イザヤの警告にもかかわらず、主なる神に頼らず、エジプトと同盟を結び、彼らを「避け所」とした(15節)。これはユダが「堅く据えられた礎の、貴い隅の石」(16節)を悟れなかったからである。主なる神の言葉を蔑ろにしたため、イザヤはエルサレムの指導者を「嘲る者らよ、主の言葉を聞け」(14節)と批判した。
 私達が頼ることの出来る唯一の避け所、隅の石は、「正義を測り縄とし/恵みの業を分銅とする」(17節)主なる神だけである。主なる神はユダが頼る偽りの避け所を一掃し、彼らが真に頼るべき者が誰であるかを示される(18節)。私達がこの世で頼ることの出来るのは主なる神だけである。

(2) ユダが受ける裁き(20~22節)

 イザヤは、ユダがエジプトと「結んだ契約は取り消され」、エジプトと「定めた協定は実行されない」と警告した(18節)。この世の人々の助けは、「短くて身を伸ばすことができ」ない「寝床」、「狭くて身を覆うことができない」「覆い」のように欠けがあるので(20節)、全面的に信頼することは出来ない。
 にもかかわらず、ユダは「欺きを避け所とし、偽りを隠れが」(15節)として満足した。それに対し、主なる神はユダを驚くべき仕方で滅ぼすと語られた(21節)。ダビデペリシテ人を「ペラツィム山」で全滅させた時のように(サムエル記下5章17~25節)、主なる神がヨシュアと共に戦い、「ギブオンの谷」で太陽と月を止め、カナンの民を滅ぼされた時のように(ヨシュア記10章10~14節)、主なる神はユダを滅ぼすことにおいて驚くべき御業を行われるというのである。そして、それはユダが主なる神の言葉を嘲ったためであった(22節)。主なる神の言葉に対する態度が私達の帰結を決定する。