Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 イザヤ書28章23~29節

聖書の黙想と適用 イザヤ書28章23~29節(新共同訳 旧約p.1104)

(1) 相応しい仕方で教えられる主なる神(23~26節)

 良い実を得るには、まず土地を耕さなければならない。農夫は「種を蒔くために」「土を起こして」地面をならす(24節)。そのようにして穀物がよく育つことの出来る条件を整える。
 主なる神の裁きもイスラエルの民を滅ぼすためではなく、よく実を結ばせるための手段である。神の民は主なる神の懲らしめを受けても、それが良い実を結ぶためであることを忘れてはならない。
 また、植物によって種を蒔く方法が異なるように(25節)、主なる神は一人一人に異なる接し方をされる(26節)。そして、その賜物に合った適切な場に配置される。主なる神は私達一人一人を大切にされ、その特性に合わせて尊く用いて下さる。主なる神のご配剤は実に驚くべきものである。

(2) 主なる神の計らい(27~29節)

 農夫は地の産物の性質に従って異なる方法で脱穀する。「いのんど」や「クミン」のような軽い農作物は、実が潰れないよう棒や杖で打って脱穀する(27節)。反対に、堅い「穀物」は「打穀車」と「馬」を用いて脱穀する(28節)。適切な方法で脱穀しなければ、その穀物を日用の糧として使うことは出来ない。農夫がこのような方法を用いるのは、使い物になる穀物を得るためである。
 収穫したものを脱穀する様々な方法は、「主の計らい」と知恵を表している(27~28節)。これらを農夫に教えた主なる神の知恵は実に偉大である。主なる神も選ばれた民を十分に使える働き人、成熟した子として立てるために懲らしめられる。主なる神の懲らしめは実と殻を分ける脱穀のようなものである。終わりの日、主なる神はご自分に従う者と逆らう者を振り分けられる。