Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 イザヤ書30章15~26節

聖書の黙想と適用 イザヤ書30章15~26節(新共同訳 旧約pp.1108-1109)

(1) 救いの時(15~22節)

「お前たちは、立ち帰って/静かにしているならば救われる」(15節)と主なる神が約束されたにもかかわらず、イスラエルは望まなかったため、彼らは追われる身となった(16節)。
 しかし、主なる神はご自分の民に「恵みを与えよう」「憐れみを与えよう」と待っておられる(18節)。「正義の神」(18節)であられる主は、私達に「災いのパンと苦しみを与え」(20節)て懲らしめる一方で、私達が悔い改め、立ち返ることを待って下さっている。また、この世界には立ち返るべき人々が、まだ多く残っている。主なる神は彼らが一日も早く帰って来ることを切に待ち望んでおられる。
 主なる神の恵みと憐れみには2つの条件がある。一つは患難から救われることを願って、主なる神に呼び求めることであり(19節)、もう一つは偶像を捨てることである(22節)。恵みを注がれる時、主なる神は「これが行くべき道だ、ここを歩け/右に行け、左に行け」(21節)と自ら語られ、ご自分の民を正しい道へと導かれる。

(2) 悔い改めの結果(23~26節)

 主なる神と人間の関係の回復は自然にも良い影響を及ぼす。ユダの民が悔い改め、偶像を捨てる時、主なる神は彼らの生活を豊かなもので満たすと約束された(23~24節)。その日は「大いなる殺戮の日」(25節)である一方で、主なる神がご自分の「民の傷を包み/重い打ち傷をいやされる日」(26節)である。
 その日、主なる神は彼らが「地に蒔く種に雨を与えられる」。その結果、「地の産み出す穀物は豊かに実る」(23節)。「地を耕す牛やろば」も良い飼葉を食べて肥える(24節)。更に、「月」や「太陽」などの天体も主なる神の祝福によって豊かになる(26節)。
 現在この世界は罪で汚染されている。しかし、人間が主なる神と正しい関係を回復する時、自然は回復し、人間に良い環境を提供する。主なる神の救いと回復は、人間だけに留まらない。自然界を含む全宇宙的なものである(コロサイの信徒への手紙1章20節)。