Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 イザヤ書31章1~9節

聖書研究 イザヤ書31章1~9節(新共同訳 旧約p.1110)

(1) エジプトに頼るな(1~3節)

 ユダの危機は政治的な理由ではなく、霊的な理由から始まった。それ故、ユダは危機の度に主なる神に頼るべきであった。
 しかし、ユダの指導者は「助けを求めて」エジプトと同盟を結んだ。主なる神の代わりに、「戦車の数が多く/騎兵の数がおびただしい」エジプトの軍事力に頼った。彼らは主なる神を「仰がず/主を尋ね求めようとしな」かった(1節)。
 これに対し、主なる神は、イザヤを通してユダの愚かさを責め、裁きを警告された。主は「御言葉を無に帰されることはない」(2節)方である。また、主なる神は「悪を行う者に味方する者を攻め」(2節)、ユダだけでなく、ユダを助けるエジプトをも打たれる。「主が御手を伸ばされると/助けを与える者はつまずき/助けを受けている者は倒れ、皆共に滅びる」(3節)ことになる。
 イザヤは、ユダの愚かさを責める中で、彼らを患難から救って下さるのは、主なる神だけであることを力説した。「エジプト人は人であって、神ではない。その馬は肉なるものにすぎず、霊ではない」(3節)。主なる神に頼ることだけが勝利の秘訣である。

(2) 主なる神に立ち帰れ(4~9節)

 アッシリアの威嚇に怯えるユダの民に、イザヤは主なる神がご自分の民を「守り、助け、かばって救われる」(5節)ことを知らせた。イザヤはそのような主を「獲物を捕らえて、うなる」「獅子や若獅子」(4節)、「翼を広げた鳥」(5節)に喩えている。主なる神は、獅子が獲物を守るように、ユダのために戦われる方である。また、親鳥が自分の身を惜しまず、雛を守るように、ユダを守り、救われる方である。
 それ故、イザヤは「イスラエルの人々よ、あなたたちが背き続けてきた方に立ち帰れ」(6節)と呼びかけた。「人間のものではない剣」、即ち主なる神の御力によって、「アッシリアは倒れ」(8節)、ユダは守られる。
 主なる神は、私達に順調で簡単な道を示されることはなくても、私達を最後まで守ることを約束して下さった。この方は私達の前にある障害物を取り除くことはしなくても、御使いに命じて私達がその障害物によって倒れることがないよう守って下さる。主なる神は私達を敵の手に渡されない。私達の信仰は揺れても、主なる神は真実であられ、その言葉は変わることがない。