Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 イザヤ書34章1~7節

聖書研究 イザヤ書34章1~7節(新共同訳 旧約pp.1114-1115)

(1) 全ての国に向かって憤りを発する主なる神(1~4節)

 主なる神はイスラエルの民だけでなく、全ての民族を支配される方である。だから、いかなる民族であれ、全ての人はただ主なる神だけを礼拝しなければならない。
 また、主なる神の統治は地にある全てのもの、世にある全てのものに及んでいる。天の太陽、月、星も、「大地とそこに満ちるすべてのもの」も、「世界とそこに生ずるすべてのもの」も(1節)、主なる神の主権の下にある。
 それ故、主なる神の支配を拒否する「すべての国に向かって」、主なる神は「憤りを発」される(2節)。その時に臨む災いを、イザヤは、山々が「刺し貫かれた人々」の「血によって溶け」(3節)、天が「巻物のように巻き上げられる」(4節)という表現をもって語っている。
 これは主なる神に敵対する「もろもろの国」、「もろもろの民」に対する警告である(1節)。神の民は、主権者であられる主なる神だけを高め、この方だけに栄光と讃美と感謝を代々に献げなければならない。

(2) エドムに対する審判(5~7節)

「主の剣」(6節)は主なる神の裁きを意味する。「天において、わが剣は血に浸されている」(5節)とは、天において滅亡が定められており、裁きの準備が既に終わっていることを意味する。
 主なる神の裁きはまず「エドムの上に下る」(5節)。エドムは、ヤコブの双子の兄エサウを祖とし(創世記36章43節)、イスラエルと血縁的に非常に近い関係にあった。にもかかわらず、絶えずイスラエルを嘲り、攻撃した。イザヤはそのようなエドムを主なる神が裁かれると預言した。屠られる「小羊と雄山羊」、「雄羊」(6節)、「野牛」、「子牛」というのは(7節)、「主の剣」によって倒れるエドム人を指している。
 イエス・キリストは、隣人を愛し、更には「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイによる福音書5章44節)と言われた。しかし、エドムは自分と兄弟関係にあるイスラエルを誹謗し、殺した。その罪は主なる神の御前にいかほどであっただろうか。主なる神の判断には一寸の誤りもない。
 その一方で、主なる神に復讐を求める時、私達は自分で復讐することを諦めなければならない。自分の力で復讐し、自分の手で問題を解決しようとする時、私達は、主なる神がどのような御方であるかをまだ理解していない。私達のエドムに対する報復を主なる神にお委ねしよう。主なる神が報いて下さる。そして、私達は復讐と報復から自由になることが出来る。