Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 イザヤ書37章30節~38章8節

聖書の黙想と適用 イザヤ書37章30節~38章8節(新共同訳 旧約pp.1120-1121)

(1) 万軍の主の熱情(37章30~38節)

 イザヤは主なる神が与えられたユダの救いの徴をヒゼキヤに告げた。アッシリアの軍隊の蹂躙によってユダの地は荒廃してしまった。しかし、この年もユダの人々は「落ち穂から生じた穀物を食べ」ることが出来る。また、翌年は「自然に生じたものを食べ」ることが出来る。そして、翌々年には「種を蒔いて刈り入れ、ぶどう畑を作り、その実りを食べる」ことが出来るようになる(30節)。また、「難を免れ、残った者たちは再び根を下ろし、上には実を結ぶ」(31節)ことが出来る。「万軍の主の熱情がこれを成就される」とイザヤは宣言した(32節)。
 続いてイザヤはアッシリアの敗北を宣言した(33~34節)。主なる神は「自らのために」、またダビデに約束されたことを為すためにエルサレムを「守り抜いて救」われる(35節)。イザヤの預言通り、主の御使いが「アッシリアの陣営で十八万五千人を撃」(36節)ち、アッシリアセンナケリブはニネベに撤退した(37節)。そして、「二人の息子アドラメレクとサルエツェル」によって剣で殺された(38節)。主なる神は万軍の主であり、歴史の主であられる。主なる神の熱情に信頼し、勝利の人生を生きよう。

(2) ヒゼキヤの病気(38章1~8節)

 ヒゼキヤは、死の病に罹り、イザヤを通して「あなたは死ぬことになっていて、命はないのだから、家族に遺言をしなさい」という宣告を受けた(1節)。この時、ヒゼキヤは39歳で(5節、列王記下18章2節)、王位を継ぐ子供もまだ生まれていなかった(列王記下21章1節)。死刑宣告に等しい預言を聞いた彼の衝撃はどれほどだっただろうか。
 しかし、ヒゼキヤは絶望したり、不平不満を吐いたりせず、すぐに主なる神の御前に出て行った。そして、「顔を壁に向け」(2節)、「涙を流して、大いに泣」きながら、「ああ、主よ、わたしがまことを尽くし、ひたむきな心をもって御前を歩み、御目にかなう善いことを行ってきたことを思い起こしてください」と主なる神に祈った(3節)。ヒゼキヤの「祈りを聞き、涙を見た」(5節)主なる神は「わたしはあなたの寿命を十五年延ば」(5節)すと告げられた。
 希望を打ち砕かれた時、神の民がとるべき態度をヒゼキヤはよく示している。主なる神は、ご自分の御前に謙ってひれ伏し、切に助けを求める人に必ず答えられる。主なる神に頼る者が流す涙は涙だけで終わることはない。