Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 イザヤ書39章1~8節

聖書の黙想と適用 イザヤ書39章1~8節(新共同訳 旧約p.1123)

(1) バビロンからの見舞客(1~2節)

 ヒゼキヤは主なる神の恵みによって15年間寿命を延ばされた(38章5節)。ところが、彼はその後主なる神の恵みを忘れて、高慢になり、大きな過ちを犯してしまった。
「バビロンの王、バルアダンの子メロダク・バルアダン」がヒゼキヤに手紙と贈り物を携えて、使者を送って来た時(1節)、彼は「銀、金、香料、上等の油など宝物庫と、武器庫、倉庫にある一切の物を彼らに見せた」(2節)。彼は自分の富と力を誇ったのである。
 ヒゼキヤは主なる神が生きて働かれた御業をこそ使者達に誇るべきであった。しかし、強大国バビロンの王が「手紙と贈り物を送って来た」(1節)ことに興奮し、舞い上がってしまった。そのため、国の機密に関わるものも含めて、「王宮にあるもの」を「何もかも」使者に公開してしまった(4節)。
 ヒゼキヤはそれまで主なる神だけに頼り、祈ってきた。しかし、人間的な欲の故に心に隙が生じ、信仰の中心を見失ってしまった。私達も成功した後にはいつも試みがやって来ることを覚える必要がある。

(2) ユダの滅亡に関する預言(3~8節)

 主なる神はヒゼキヤの慢心を怒られた。そこで預言者イザヤを遣わし(3節)、イザヤを通してやがて起こるユダの滅亡について語られた(5節)。
 ヒゼキヤが信仰の中心を見失い、バビロンからの使者に王宮にあるものを何もかも見せたことによって(4節)、ユダはバビロンに踏み躙られる機会を提供した。ユダは、自分達がこれまでずっと警戒してきたアッシリアではなく、バビロンによって捕虜とされ(7節)、全ての所有物を「ことごとくバビロンに運び去られ」(6節)る。権力と財産を誇る者は必ず滅びる。
 ところが、イザヤの預言に対し、ヒゼキヤは驚くことに「あなたの告げる主の言葉はありがたいものです」と答えている(8節)。ユダの滅亡が起こるのは将来で、「自分の在世中は平和と安定が続く」と考えたからである。ヒゼキヤは国の将来について利己的で無責任な態度を示した。より良い未来のためには、今日主なる神の御心に適った生活をすることが必須である。