Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 詩編51編12~21節

聖書の黙想と適用 詩編51編12~21節(新共同訳 旧約p.885)

(1) 新しく確かな霊を授けて下さい(12~19節)

 ダビデはここで「神よ、わたしの救いの神よ/流血の災いからわたしを救い出してください」(16節)と嘆願している。彼は、バト・シェバと姦淫を犯し、その罪を隠蔽するためにウリヤを殺す罪を犯してしまった。そして、自分の罪が主なる神の御前でいかに大きなものであるかを痛感していた。ダビデは、この罪から自分を救うことが出来るのは、主なる神しかおられないと信じていた。「恵みの御業」(16節)とは、主なる神が自分を罪から救って下さることを指している。
 そして、そのためにダビデは自分の「内に清い心を創造し」て下さる「新しく確かな霊」を主なる神に求めた(12節)。また、主なる神の「聖なる霊を取り上げない」(13節)ように願った。罪の赦しだけでなく、罪に打ち勝つため力を主に祈り求めたのである。私達は、罪が与える楽しみを放棄することが出来ず、それを繰り返してしまう。罪の誘惑に打ち勝つためには、聖霊によって満たされる必要がある。
 この時、ダビデは「焼き尽くす献げ物」を形式的に献げるだけでは、主なる神は喜ばれないと悟り(18節)、「打ち砕かれ悔いる心」(19節)で主なる神の御前に出ている。打ち砕かれ悔いる心なしに祈ることは偽善である。
 そして、主なる神が「御救いの喜びを再び」(14節)自分に「味わわせ」て下さるなら(14節)、「罪人が御もとに立ち帰るように」、主の道を主なる神に背いている者に教えるとダビデは表明している。罪の赦しと救いの恵みを体験した人は、主なる神に対して感謝と讃美を献げる。そして、主の恵みを熱心に伝える者に変えられていく。こうして救いの恵みは更に多くの人々に宣べ伝えられていく。

(2) エルサレムのための祈り(20~21節)

 ダビデは、自らの救いと共に、主なる神がエルサレム(シオン)を「御旨のままに」恵んで下さることを切に願った(20節)。また、「エルサレムの城壁を築いてください」(20節)という祈りは、象徴的な意味を持っていると考えられる。即ち、ここでダビデは、主なる神がイスラエルの道徳的、霊的、経済的、社会的基盤を立て直して下さることを切に願っている。
 主なる神は個人の変化を通して共同体の変化を導かれる。ダビデのように謙って悔い改め、罪を赦され、聖霊によって「清い心」(12節)と「御救いの喜び」(14節)を与えられる時、私達はその変化に与ることが出来る。主なる神は、私達が痛みをもって悔い改め、心から献げる「正しいいけにえ」、「焼き尽くす完全な献げ物」を喜んで受け取って下さる(21節)。