Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 アモス書1章1~12節

聖書の黙想と適用 アモス書1章1~12節(新共同訳 旧約pp.1428-1429)

(1) 預言者アモス(1節)

 歴史の真の主権者は主なる神である。アモスは南ユダの「テコアの牧者の一人」で、「ユダの王ウジヤとイスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムの時代」(紀元前760~740年頃)に、主なる神から「イスラエルについて示された」ことを預言した(1節)。
 当時の王は自国を富強にしたという点で世の注目を受けるに値する人物であった。しかし、アモスは主なる神に目を向けた。主なる神こそウジヤとヤロブアムの上に立つ王の王、主の主であることをよく知っていたからである。
 アモスは人物や出来事に対する霊的な洞察力を持っていた。アモスが預言活動を始めて2年後に起こった地震についても、彼は主なる神の裁きのメッセージを宣告した(1節)。物質的には豊かであったが、信仰的・道徳的に腐敗していた時代にアモスの働きは始まっている。

(2) 諸国民に対する審判(2~12節)

 アモスの預言は、「主はこう言われる」(3節、6節、9節、11節)から始まり、「…と主(なる神)は言われる」(5節、8節)で終わっている。このことは、アモスの関心がただ主なる神の言葉にあることを示している。
 主なる神はアモスを通してアラムの首都「ダマスコ」に向けて語られた。彼らは「鉄の打穀板を用い」て押し潰すように、「ギレアド」地方のイスラエルの民を圧迫した(3節)。
 また、「ペリシテ」の「ガザ」(6節)、フェニキアの「ティルス」(9節)、「エドム」の「テマン」と「ボツラ」は、商業と貿易で栄えた都市である一方で、人身売買のような不法が横行していた(6節)。更にエドムは、兄弟関係にあるイスラエルの民を「剣で」苦しめ、「憐れみの情を捨て/いつまでも怒りを燃やし/長く憤りを抱き続けた」(11節)。「三つの罪、四つの罪」(3節、6節、9節、13節)とは繰り返される罪を意味する。
 主なる神は、罪を犯した人間に対して、恐ろしい猛獣のように「ほえたけり」、「声をとどろかされる」(2節)。主なる神が御声を発せられるのは私達を愛される故である。それならば、主なる神の御声を聞くことはどれほどの恵みだろうか。主なる神の警告の言葉が聞こえてきた時、私達は自ら姿勢を低くしなければならない。