Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 アモス書3章1~15節

聖書研究 アモス書3章1~15節(新共同訳 旧約pp.1431-1432)

(1) 主なる神が語られる(1~8節)

 主なる神はイスラエルを「エジプトの地から導き上」(1節)り、ご自分の民とされた。その時、多くの民族が一緒にエジプトから出てきたが、主なる神はイスラエルを特別に愛された(2節)。
 しかし、イスラエルは、主なる神の特別な愛を侮り、その恵みを忘れた。選びの民としての使命と責任を疎かにしたイスラエルの人々に対し、預言者アモスは「主がお前たちに告げられた言葉を聞け」(1節)と語った。彼らはアモスを通して「わたしはお前たちをすべての罪のゆえに罰する」(2節)という主なる神の裁きの宣告を聞かなければならなかった。
 主なる神との契約は祝福と呪いの両方を含んでいる。主なる神はイスラエルを祝福すると約束された。彼らが主なる神の律法を守るなら、その約束を実現して下さる。しかし、彼らが主なる神の律法を守らないなら、主なる神は彼らを裁かれる。災いは単なる偶然に過ぎないと考える彼らに対し、アモスは「町に災いが起こったなら/それは主がなされたことではないか」(6節)と問い返す。主なる神の怒りは愛に、懲らしめは恵みに正比例する。イスラエルが直面する苦難と苦痛は、彼らが行った罪の代価であった。
 イスラエル(北王国)の人々にとって、ユダ(南王国)出身のアモスが、自分達の土地に来て裁きを宣言することは不愉快だったに違いない。そこでアモスは幾つかの喩えを通して自分が預言する理由を語っている。獲物を見つけた「獅子が森の中でほえる」(4節、8節)ように、「町に災いが起こった」時に「角笛が吹き鳴らされ」るように(6節)、「主なる神はその定められたことを/僕なる預言者に示さずには/何事もなされない」(7節)。主なる神が語られた言葉を受け取ったアモスは黙っていることが出来なかった。

(2) サマリアの滅亡(9~15節)

 神の民は、主なる神の律法を守り、道徳性と生活において異邦の民よりも優れていることを期待されていた。しかし、イスラエルの人々、特にサマリアの支配層は「正しくふるまうことを知ら」ず、「不法と乱暴」を常とし(10節)、貧しい民から冷酷に奪って築いた富をもって贅沢に耽っていた(12節、15節)。
 そのため、主なる神はイスラエルの敵を立ち上がらせる。主なる神は、近くの「アシュドドの城郭」にも、遠くの「エジプトの地にある城郭」にも、「サマリアの山に集まり/そこに起こっている狂乱と圧政を見よ」(9節)と命じられる。悪の巣窟となったサマリアに対し、「敵がこの地を囲」(11節)んで、苦しめる。イスラエルの敵は「砦を倒し、城郭を略奪」(11節)する。
 その時、支配層が民から収奪した富をもって輸入した象牙などで内部を装飾した「家」や「大邸宅」も破壊される(15節)。そして、彼らが使っていた「豪奢な寝台」や「ダマスコ風の長いす」だけが残る(12節)。それは支配層の貪欲と民への収奪を露わにするものであった。
 更に、主なる神は、「イスラエルの罪を罰する日」に、真の神への礼拝とは似て非なる「ベテルの祭壇に罰を下」され、「祭壇の角は切られて地に落ちる」(14節)。
 主なる神は、支配層による権力の濫用、社会的弱者に対する配慮も憐れみもない搾取に裁きを下される。また、社会の不義の根となっていた偽りの礼拝を徹底的に破壊される。教会は、社会の不義が拡大せず、弱い者や貧しい者が制度的な悪の犠牲者とならないようにするために、預言者としての役割を担うべきである。そして、互いに励まし合い、配慮し合う、心温かい社会へと導いていかなければならない。