Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 アモス書4章1~13節

聖書の黙想と適用 アモス書4章1~13節(新共同訳 旧約pp.1432-1434)

(1) サマリアの女達(1~5節)

 主なる神は「弱い者を圧迫し、貧しい者を虐げる」(1節)ことを嫌われる。しかし、イスラエル(北王国)の支配層は、既に良いものを多く持っているにもかかわらず、弱い者や貧しい者から搾取し、贅沢と享楽に耽っていた。
 アモスは悔い改めないイスラエルを「バシャンの雌牛ども」(1節)と呼んでいる(1節)。バシャンの雌牛は力が強く、人の言うことを聞かないことで有名だった。自分の罪を悔い改めて、主なる神に立ち帰ろうとしないイスラエルはまるでその雌牛のようであった。
 イスラエルの罪は主なる神の御前では全て明らかだった。主なる神はアモスを通してイスラエルに悔い改めを迫った。だが、彼らはそれに答えず、主なる神から更に遠ざかった。
 イスラエルの人々は、「ベテル」や「ギルガル」といったイスラエルに特別な恵みが臨んだ地を巡り歩き、いけにえを献げたり(4節)、献げ物をすることには熱心だった(5節)。だが、彼らはそこに偶像を立て、主なる神を礼拝すると言いながら更に罪を犯した。
 彼らは非常に宗教的に見えた。しかし、彼らの献げ物は、人々に信仰を見せびらかす自己満足の手段に過ぎなかった。それは偽りであり、憎むべきことだった。主なる神は利己的な宗教的熱心に対して怒られる。

(2) 頑ななイスラエル(6~13節)

 罪を犯し続けるイスラエルの民がご自分に立ち帰るために、主なる神は苦難と逆境をお与えになった。或る時は「どの居住地でもパンを欠乏させ」(6節)、或る時は雨が降らないようにされた(7節)。また「いちじくの木とオリーブの木」を「いなごが食い荒ら」す災いを起こしたり(9節)、エジプトに対してなさったように疫病を送られることもあった(10節)。更に、ソドムとゴモラに対してなさったような厳しい裁きを示され、イスラエルは「炎の中から取り出された燃えさしのようになった」(11節)。主なる神の裁きは罪に対する懲らしめであり、主なる神に立ち帰らせるための手段であった。
 それにもかかわらず、イスラエルは悔い改めなかった。相次ぐ懲らしめにより苦しい境遇に立たされても、彼らは答えようとしなかった。主なる神のどのような呼びかけにも、霊的に鈍くなったイスラエルは気付くことがなかった。その度に主なる神は「しかし、お前たちはわたしに帰らなかった」(6節、8節、9節、11節)と胸を痛められた。そして、「イスラエルよ/お前は自分の神と出会う備えをせよ」(12節)と宣告された。「万軍の神なる主」(13節)は、謙ってご自分に立ち帰ろうとしない人々を直接訪ねて、滅ぼされる。
 私達が主なる神に立ち帰らない時、主なる神は苦しみを与えられる。苦難は主なる神の不在を意味しない。寧ろ主なる神の臨在と介入を意味する。主なる神は私達の罪を裁き、私達をきよめようとされる。そして、私達と出会うことを願われる。1度呼んでも答えなければ2度呼び、小さな声が呼んで答えなければ、もっと大きな声で呼ばれる。主なる神は今日も私達に向かって、自分のもとに戻って来るよう呼んでおられる。聞く耳のある者となって、主なる神の呼ばれる御声を聞こう。