Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 アモス書5章14~27節

聖書の黙想と適用 アモス書5章14~27節(新共同訳 旧約pp.1435-1436)

(1) 善を求めよ、悪を求めるな(14~15節)

 主なる神の裁きは滅ぼすことが目的ではない。主なる神は、ご自分の民が悔い改めて「生きることができる」(14節)よう、裁きのメッセージを下さる。主なる神はアモスを通してイスラエルに裁きを宣告され、彼らが悔い改めることを期待された。
 罪を犯したイスラエルが生きる道は、ただ主なる神を求めることだけである。それは「悪を憎み、善を愛」することである。そして、「正義を貫」いて生きることである(15節)。そうする時、主なる神は彼らと「共にいてくださ」(14節)り、彼らを「憐れんでくださる」(15節)。キリスト者も、この世にあって「善を求め」、主なる神が喜ばれる生き方をするよう求められている。

(2) 祭りにまさる正義(16~27節)

 主なる神が教えて下さる生きる道を拒絶するならば滅びしかない。にもかかわらず、イスラエルの民はそのことに気付かず平然としていた。そのため彼らには遠からず裁きの日がやって来る。主なる神の裁きの日には、どの広場でも、どの通りでも(16節)、どのぶどう畑でも(17節)、彼らの泣き叫ぶ声が聞こえる。
 イスラエルの民が期待する栄光に満ちた「主の日」は決して訪れない(18節)。また、彼らがどれだけ「焼き尽くす献げ物」や「穀物の献げ物」をささげても、主なる神はそれらを受け入れられない(22節)。彼らがどれだけ讃美をささげても、主なる神は「騒がしい歌」として忌み嫌われる(23節)。偽善でささげる宗教行為は全て虚しいものである。
 主なる神が真に願われるのは、「正義を洪水のように/恵みの業を大河のように/尽きることなく流れさせ」(24節)る生き方である。主なる神は、生活においてご自分の御心と無関係に生き、形だけの礼拝に熱心な私達の偽善を嫌われる。