Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 ナホム書3章1~7節

聖書研究 ナホム書3章1~7節(新共同訳 旧約pp.1461-1462)

(1) 災いだ、流血の町は(1~4節)

 ナホムはアッシリアの都ニネベの罪を指摘し、主なる神の裁きの必然性を示した。
 アッシリアは強大な軍事力をもって絶え間なく戦争をし続けた。彼らは、繁栄と保護を約束して、周辺の国々を誘惑し、自分達に依り頼ませた。そして結局はそれらの国々を滅ぼした。また、アッシリアは、諸国を征服する際、残虐な行為を行い、ほしいままに略奪した。彼らの繁栄は不義と暴虐によって手に入れたものだった。「町のすべては偽りに覆われ、略奪に満ち、人を餌食にする」ニネベを、ナホムは「流血の町」と呼んだ(1節)。
 その上で、ナホムはアッシリアが他の国々を滅ぼしたのと同じ方法で滅ぼされる様子を描いた。「鞭の音、車輪の響く音/突進する馬、跳び駆ける戦車。騎兵は突撃し/剣はきらめき、槍はひらめく。倒れる者はおびただしく/しかばねは山をなし、死体は数えきれない」(2~3節)というのは、ニネベの都が滅ぼされる現場で見られる光景であり、また彼ら自身がしてきたことであった。
 ナホムはアッシリアの罪を「呪文を唱えるあでやかな遊女の/果てしない淫行」に喩えた。そして、アッシリアは「淫行によって国々をとりこにした」と告発する(4節)。アッシリアの「淫行」は宗教的な要素と政治的な要素を持っていた。アッシリアは、軍事的な協力を餌にして周辺の国々を誘惑し、自分達の宗教に従わせ、偶像礼拝と忌むべきことを行わせた。
 聖書はバビロン、ローマ、ニネベなどの大都市を遊女として描写している。これらが、富、性、権力、成功、繁栄、保護といった誘惑を通して人々を主なる神への信仰から遠ざけたからである。そして、ニネベのようにそれらをもって魅惑する「遊女」は今日においても存在する。

(2) お前を辱め、見せ物にする(5~7節)

 罪を犯したら、代価を支払わなければならない。遊女のように行動し、多くの国と民を誘惑したニネベに、主なる神が求められた代価は恥そのものであった。「裾を顔の上まで上げ」て、彼らを裸にし、それを諸国の民に見せるというのである(5節)。また、主なる神はニネベに「憎むべきものを投げつけ」(6節)られた。それは偶像礼拝や呪術など彼らが犯してきた罪に対する報いであった。
 こうしてニネベは「辱め」られ、「見せ物」(6節)に転落した。かつてニネベは「水を集める池」(2章9節)のように多くの人が集まる都であった。しかし、今では荒れ果てた地となった姿を晒すだけである。そして、ニネベの滅亡の知らせを聞いた者は、誰も嘆くことはなく、却って喜んだ(7節)。
 主なる神よりも強い国はない。どれほど栄えて強大に見えても、不義を行う忌むべき国であるなら、主なる神が滅ぼされる。私達も例外ではない。主なる神の御前に犯した罪があるなら、主なる神はその罪を問われる。私達はそれを悔い改めなければならない。ニネベを反面教師とし、悔い改めて主の道に立てるように努めよう。