Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 雅歌6章1節~7章1節

聖書の黙想と適用 雅歌6章1節~7章1節(新共同訳 旧約pp.1055-1056)

(1) 花婿と花嫁の愛の関係(1~10節)

 花婿と花嫁は互いへの恋しさを歌で表現した。このことは、二人が一時的な葛藤を克服し、更に成熟した愛へと向かったことを暗示している。
 花嫁は自分の愛する男性がいる園に行くことを願った(2節)。また、花婿は自分の愛する女性の美しさと愛おしさを再び讃え(4~7節)、彼女に対する特別な愛を歌った(8節)。
 花嫁に向けられた歌の中に登場する「ティルツァ」、「エルサレム」(4節)といった都市、「山羊」(5節)、「雌羊」(6節)、「ざくろの花」(7節)、「鳩」(8節)といった動植物は、花嫁の美しさを表している。そして、花婿の歌はエルサレムのおとめによる合唱によって終わっている(10節)。
 花嫁は怠惰によって愛する花婿との葛藤を経験した。しかし、そのことを通して「わたしは恋しいあの人のもの」(3節)と自分が徹底して花婿に属する者であることを悟った。
 私達に向けられたイエス・キリストの愛は、花嫁に対する花婿の愛よりも更に情熱的である。イエス・キリストこそが自分の主であり、全てであると告白し、私達を愛そうとされるイエス・キリストの情熱に応答しよう。

(2) もう一度出ておいで、シュラムのおとめ(11節~7章1節)

 愛の関係が成熟すると私達は大きな喜びを得る。花嫁と花婿は葛藤を経験した後、共に味わう喜びがいかに大きいかを悟った。二人は更に深く成熟した愛の姿を示す。花嫁が「くるみの園に下りて行き」(11節)、花婿の前に行ったのは花婿を心から愛するが故であった。
 エルサレムのおとめたちは、シュラムのおとめに対し「もう一度出ておいで」(1節)という言葉を繰り返している。花嫁に対する花婿の愛は変わらないので、花嫁に花婿から離れず花婿の喜びを味わうよう勧めた。
 花嫁は周りの人々の願いを受け入れ、花婿に対する愛を「マナハイムの踊り」(1節)によって表現した。イエス・キリストに対する私達の愛の表現も、このように能動的でなければならない。