Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 雅歌8章1~7節

聖書の黙想と適用 雅歌8章1~7節(新共同訳 旧約pp.1057-1058)

(1) 完全な愛を求める花嫁(1~4節)

 花嫁は「あの人が左の腕をわたしの頭の下に伸べ/右の腕でわたしを抱いてくださればよいのに」(3節)といつも憚ることなく花婿への愛を表現したいと望んだ。しかし、2人の間には様々な障害があったため、そのような愛の実現には様々な制限があった。彼女はそのことをとても残念に思った(1節)。花嫁は「愛がそれを望むまでは/愛を呼びさまさない」(4節)ことを願い、完全な愛を熱望した。
 イエス・キリストと親密に交わり、その愛の大きさを感じて生きていくことは、言葉に言い表せない喜びである。しかし、この愛には多くの妨害がある。それでも、イエス・キリストに従う者には、主との愛はこの程度でいいという限度は有り得ない。
 花嫁が現在の愛に満足せず、愛する人との完全な愛を絶えず求めたように、イエス・キリストに対する私達の愛もそうでなければならない。イエス・キリストとの深い愛の交わりを奪われることがあってはならない。

(2) 大水も愛を消すことは出来ない(5~7節)

 花嫁は「大水も愛を消すことはできない/洪水もそれを押し流すことはできない」(7節)と述べ、結婚によって一つになった2人は決して離れることが出来ないと強調した。そして、花嫁は花婿に「わたしを刻みつけてください/あなたの心に、印章として/あなたの腕に、印章として」(6節)と言った。花嫁は花婿が彼女への愛をいつまでも持ち続けることを願った。
 イエス・キリストは私達がいつも共にいることを願われる。もし私達が心と手に刻まれた印章のようにイエス・キリストと共に歩むなら、私達は主の姿に似た者とされていく。そして、私達はあらゆることにおいてイエス・キリストのために生きようと更に努力するようになる。
「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイによる福音書16章16節)というシモン・ペトロの信仰告白に対し、イエス・キリストは「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」(同18節)と約束された。花嫁に対する花婿の愛が「火花を散らして燃える炎」(6節)のようであったのと同様に、私達に対するイエス・キリストの愛は死の力、陰府の力以上に強く、どのようなものによっても破壊されない。