Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 雅歌8章8~14節

聖書の黙想と適用 雅歌8章8~14節(新共同訳 旧約pp.1058-1059)

(1) シュラムのおとめの成長(8~12節)

 シュラムのおとめは自分が幼かった頃の兄達の言葉を思い出す。兄達は「この妹が求愛されたら、どうすればよいのか」(8節)と案じた。そして、「この子が城壁ならば、その上に銀の柵をめぐらし/この子が扉ならば/レバノン杉の板で覆うことにしよう」(9節)と述べ、彼女が純潔で賢明な女性に成長するよう努めてきた。
 兄達の努力もあってシュラムのおとめは、外的な美しさは勿論のこと、内的な美しさをも具える女性に成長した。彼女は花婿の目に「満足を与える」(10節)女性となった。愛の危機を迎えはしたものの、花嫁は花婿の恵みによって平安を得る者となった。それはイエス・キリストの恵みによって義とされたキリスト者の姿を示すかのようである。

(2) 花婿と花嫁の愛に満ちたやり取り(13~14節)

 最後に、花婿は花嫁に「園に座っているおとめよ/友は皆、あなたの声に耳を傾けている。わたしにも聞かせておくれ」(13節)と求め、花嫁は花婿に「恋しい人よ/急いでください、かもしかや子鹿のように/香り草の山々へ」(14節)と答えている。2人の愛情に満ちた声が生き生きと聞こえてくるかのようである。
 花嫁を愛する花婿の言葉は、花嫁であるキリスト者に対するイエス・キリストの激しい愛を示している。私達に対するイエス・キリストの愛は決して止まることがない。その愛こそが天の父の御子がこの世に人間として来られた理由である(ヨハネによる福音書3章16節)。その愛こそがイエス・キリストが十字架で死なれた理由である。そして、その愛こそがイエス・キリストが復活された理由である。
 いかなる妨害もイエス・キリストと私達の愛を引き離せない。私達の罪を覆って下さったイエス・キリストの愛はこの上なく大きい。