Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 ヨナ書1章1~10節

聖書研究 ヨナ書1章1~10節(新共同訳 旧約p.1445)

(1) ヨナに臨む主なる神の言葉(1~2節)

 ヨナ書は主なる神の憐れみ深さについて語っている。主なる神は「悪人にも善人に太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイによる福音書5章45節)憐れみ深い方である。そして、主なる神の豊かな憐れみの故に、イエス・キリストを主と信じる者は神の子とされた。ヨナ書はそのような主なる神についてよく示している。
 また、ヨナ書は主なる神が人間の罪の悔い改めを願っておられることも教えている。主なる神は、ヨナを預言者として立て(1節)、「さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている」(2節)と命じられた。ニネベの人々は、主なる神の憐れみ深さを誤解し、悪に染まって生きていた。主なる神は、義なる方であり、ニネベの民の罪を見逃されない。しかし、憐れみ深い方であるが故に、裁きを下す前にヨナをニネベに遣わし、悔い改めを呼びかけられた。

(2) ヨナの逃亡(3~10節)

 ヨナがニネベに行って、主なる神の言葉を宣言する働きに召されたように、主なる神の働きのために召されることを〈召命〉と言う。全てのキリスト者は、主なる神の召命を受け、主なる神の言葉に従うべき義務を負っている。この命令を受けていないキリスト者は一人もいない。
 ヨナが「主から逃れようとして出発し、タルシシュに向かった」(3節)時、その道は彼の思い通りに開かれた。しかし、その後「主は大風を海に向かって放たれたので、海は大荒れとなり、船は今にも砕けんばかりとなった」(4節)。
 主なる神の御心に逆った歩みが順調だからと言って、それを主なる神の祝福と勘違いしてはならない。主なる神は長く耐え忍ばれるが、必ず懲らしめの手を高く上げられる。私達は狭い道を歩み、バプテスマのヨハネのように、「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」(ヨハネによる福音書3章30節)という信仰を持たなければならない。その時、私と私の周りの人々全てが生きることになる。