Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 ヨナ書3章1~10節

聖書の黙想と適用 ヨナ書3章1~10節(新共同訳 旧約p.1447)

(1) ヨナに再び臨む主の言葉(1~2節)

「さあ、大いなる都ニネベに行って、わたしがお前に語る言葉を告げよ」(2節)という主なる神の言葉がヨナに臨んだ(1節)。この言葉は「さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ」(1章2節)という最初にヨナに臨んだ主の言葉を思い起こさせる。主なる神はヨナにもう一度任務を任せることにより、彼の悔い改めが真実であるかを立証する機会をお与えになった。
 ペトロもイエス・キリストからヨナと同じような機会を与えられている。彼はイエス・キリストを3度否定した。しかし、その後イエス・キリストの言葉を再び聞いた。復活されたイエス・キリストは、ペトロと出会い、「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」と3度確認された。そして、「わたしの羊を飼いなさい」と命じられた(ヨハネによる福音書21章15~17節)。
 私達にも人生の中で主なる神の言葉がこのように繰り返し聞こえてくる時がある。もし私達が最初に臨んだ主なる神の言葉に対して従順の実を結ぶことが出来なければ、その言葉は何度も響いてくる。主なる神が繰り返し語られる言葉への不従順は、信仰生活の次の段階に進めなくする障害となる。
 主なる神の御声を聞き、その御声が継続して私達の耳元に響いているなら、すぐに従わなければならない。主の御声に従う時、私達は予想もしていなかった驚くべき結果を見ることになる。

(2) ニネベの悔い改め(3~10節)

「ヨナは主の命令どおり、直ちにニネベに行った」(3節)。ヨナはニネベの「都に入り、一日分の距離を歩きながら」、「もう四十日すれば、ニネベの都は滅びる」と叫んだ(4節)。
 すると、驚くべきことが起こった。「身分の高い者も低い者も身に粗布をまとっ」て、主なる神の御前に罪を悔い改めたのである(5節)。ニネベの王までもが「王座から立ち上がって王位を脱ぎ捨て、粗布をまとって灰の上に座し」(6節)た。更に、ニネベの王は「布告を出し」、「人も家畜も、牛、羊に至るまで、何一つ食物を口にしてはならない」と「断食を命じた」(7節)。
 主なる神は、ニネベの人々が「悪の道から離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた」(10節)。しかし、これを見たヨナは不愉快になり、怒った(4章1節)。彼はニネベの悔い改めを受け入れることが出来なかった。自分の願いとは異なる結果になったため、その現実を認めることが出来なかった。
 主なる神は私達に従順だけを求められる。従順の後の結果は主なる神が責任を取って下さる。