Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 詩編62編1~13節

聖書の黙想と適用 詩編62編1~13節(新共同訳 旧約pp.894-895)

(1) 神こそ、私の岩、私の救い(1~8節)

 敵が自分を「亡きものにしよう」(4節)とする中で、ダビデは「神にのみ」「希望をおい」(6節)た。最も近い人々からさえ助けを受けられない状況にあって、ダビデの心は極度の緊張と動揺を経験した。彼は自分の置かれた立場を、いつ崩壊するか分からない「倒れる壁、崩れる石垣」(4節)に喩えている。
 敵に囲まれた状況の中で敵だけを見るなら落胆するしかない。主なる神を見上げなければならない。ダビデは自分の魂に「沈黙して、ただ神に向かえ」(6節)と命じている。「沈黙して、ただ神に向かう」(1節)中で、全ての煩いと恐れを主なる神に委ねたのである。「神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは決して動揺しない」(2節、7節)とダビデは告白する。
 主なる神こそ救いの岩であると信じる人は、人生の重荷をこの方に委ねることが出来る(詩編55編23節、ペトロの手紙一5章7節)。主なる神は「従う者を支え」(詩編55編23節)、私達の「心と考えとをキリスト・イエスによって守」(フィリピの信徒への手紙4章7節)って下さる。

(2) どのような時にも神に信頼せよ(8~12節)

 救いの神に対する体験は、主にある兄弟姉妹を励まし、共に献身へと導く。主にあって平安を回復したダビデは、民に「どのような時にも神に信頼し/御前に心を注ぎ出せ」(9節)と勧めた。そして、「暴力に依存するな。搾取を空しく誇るな」(11節)と呼びかけた。
 ダビデの勧めは私達が誰に頼るべきかを教えている。人生の安全を人間や所有に置くことは愚かな行為である。私達は「力は神のものであり/慈しみは、わたしの主よ、あなたのものである」(12~13節)と告白しなければならない。主なる神だけが私達の救い主であり、人生において頼るべき方である。