Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 詩編63編1~12節

聖書の黙想と適用 詩編63編1~12節(新共同訳 旧約pp.895-896)

(1) 私の魂はあなたを渇き求める(1~5節)

 ダビデは「ユダの荒れ野」(1節)という孤独な状況において主なる神の恵みを切に求めた。この時、彼は、荒れ野の「乾ききった大地のように」「衰え」、「渇き果てて」いた(2節)。それ故、ダビデは「神よ、あなたはわたしの神。わたしはあなたを捜し求め/わたしの魂はあなたを渇き求めます」(2節)と告白した。
 このような魂の渇望は主なる神の臨在を経験することで満たされる。ダビデは、「聖所」での礼拝を通して主なる神を「仰ぎ望み」、主なる神の「力と栄えを見」た(3節)。そして、「あなたの慈しみは命にもまさる恵み。わたしの唇はあなたをほめたたえます」(4節)という告白へと導かれた。主なる神の慈しみこそ私達の命の源だからである。
 主なる神の慈しみと恵みを経験する時、私達は、荒れ野のような人生の中にあっても、「命のある限り」(5節)、主なる神に讃美と祈りを献げる者とされる。そして、主なる神は私達の渇いた魂を潤された園のようにして下さる。

(2) 私の魂はあなたに付き従う(6~12節)

 主なる神の臨在を経験し、当時最上の食材であった「乳と髄のもてなしを受けたように」、ダビデの「魂は満ちたり」た(6節)。彼は「わたしの魂は喜びの歌をうたい/わたしの口は賛美の声をあげます」(6節)と告白している。
 主なる神を求める者は最上の満足を得る。この世が与えるいかなる満足も、主なる神と共にある喜びとは比較にならない。それ故、彼は「床に就くときにも御名を唱え」、主なる神への「祈りを口ずさんで夜を過ごし」た(7節)。
 また、ダビデは、主なる神が必ず自分を「助けてくださ」(8節)り、「右の御手で支えてくださ」(9節)ると堅く信じていた。彼の「命を奪おうとする者は必ず滅ぼされ/陰府の深みに追いやられ」(10節)、「剣にかかり、山犬の餌食とな」(11節)ると確信していた。それ故、ダビデは主なる神以外の何かに依り頼むことがなかった。「わたしの魂はあなたに付き従」(9節)うと彼は言う。
 この世を生きていると、窮地に追い込まれる時がある。これ以上生きていたくないと思う時さえある。しかし、主なる神と共に人生を歩む時、主なる神は私達を最善の道へと導いて下さる。