Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 詩編64編1~11節

聖書の黙想と適用 詩編64編1~11節(新共同訳 旧約p.896)

(1) 敵の威嚇から私の命をお守り下さい(1~7節)

 敵が陰謀に企てる状況の中で、ダビデは「神よ、悩み訴えるわたしの声をお聞きください。敵の脅威からわたしの命をお守りください」(2節)と祈り求めた。
「さいなむ者」、「悪を行う者」(3節)と表現されているダビデの敵は、「舌を鋭い剣とし/毒を含む言葉を矢としてつがえ/隠れた所から無垢な人を射ようと構え/突然射かけ」(4~5節)てきた。また、「悪事にたけ、共謀して罠を仕掛け」(6節)、「巧妙に悪を謀」(7節)った。彼らの誹謗は鋭い剣のようであり、彼らの陰謀は待ち伏せている猟師が獲物を狙って放つ毒矢のようであった。
 悪を行う者は、「見抜かれることはない」(6節)、「我らの謀は巧妙で完全だ。人は胸に深慮を隠す」(7節)と言う。しかし、彼らの行いは主なる神の御前に皆明らかになっている。主なる神は人間の密かな思いまでご存知である。悪を行う者がどれだけ密かに、巧妙に悪を図っても、主なる神はその陰謀を砕かれ、ご自分の民を守られる。

(2) 主に従う人は主を避け所とする(8~11節)

 主なる神はダビデに対して陰謀を企む者に「矢を射かけ」(8節)られる。しかも、主が放たれる矢は、悪を行う者がダビデに向けて射かけた「自分の舌」(9節)の言葉であった。悪を行う者が口にした言葉は、彼ら自身に返ってきて突き刺すことになる。彼らが自らの言葉のために滅びると、「見る人は皆、頭を振って侮る」(9節)。
 主なる神は天地万物を治めておられる。そして、ご自分に従う者の苦しみを無視される方ではない。主なる神の裁きを通して、「人は皆、恐れて神の働きを認め/御業に目覚める」(10節)。主なる神は生きておられる。
 それ故、「主に従う人」、「心のまっすぐな人」(11節)は、悪に対して悪をもって報いることをしない。敵の誹謗と陰謀の中にあっても、「主を避けどころとし」(11節)、主なる神の裁きに委ねる。
 私達が頼ることが出来るのは、主であり、救い主であられるイエス・キリストだけである。心配や恐れがある時、全ては主なる神の統治と支配の下にあるということを思い起こそう。主なる神が私達と共にいて下さるから、私達は「主によって誇り」(11節)、「喜び祝」(11節)うことが出来る。主にあって平安を味わい、大胆に明日を迎えることが出来る。