Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 詩編65編1~14節

聖書の黙想と適用 詩編65編1~14節(新共同訳 旧約pp.896-897)

(1) 神殿に臨まれる主なる神(1~9節)

 ダビデは、主なる神が「祈りを聞いてくださ」(3節)ったことに感謝し、「聖なる神殿」(5節)で主なる神に礼拝を献げた。彼は主なる神に「賛美をささげ」(2節)、「満願の献げ物をささげ」(2節)た。
 また、ダビデは主なる神が自分の「罪の数々」を「贖ってくださ」った恵みに感謝と讃美を献げている(4節)。主なる神は、ご自分の民の祈りを聞かれ、罪を贖って下さる「救いの神」(6節)である。罪の贖いの恵みによって、神の民は主なる神の御前に出て行けるようになった。主なる神に「選ばれ、近づけられ」(5節)、主なる神に出会う時、私達はこの世の交わりにおいては味わうことの出来ない喜びを経験する。
 ダビデは、主なる神が「お与えになる多くのしるしを見て」(9節)、「遠い海、地の果てに至るまで/すべてのものが」主なる神に「依り頼み」(6節)、「畏れ敬」(9節)うようになることを願った。主なる神は、イエス・キリストを通して、この地の全ての民が罪の赦しを受け、神の民とされる祝福を注がれた。イエス・キリストは十字架で人類の罪を贖い、「父のもとに行く」(ヨハネによる福音書14章6節)道となって下さった。

(2) 地に臨まれる主なる神(9~13節)

 主なる神は、神殿で恵みを与えて下さるだけでなく、ご自分の民が住む「地に臨んで水を与え/豊かさを加えられ」(10節)る方である(9節)。農夫が地に水をやり、乾いた大地を潤すように、主なる神は「地を備え/畝を潤し、土をならし/豊かな雨を注いで柔らかにし/芽生えたものを祝福してくださる」(10~11節)。雨は上から臨み、この地から出るものではない。主なる神の恵みも雨のようである。
 主なる神の祝福は、霊的な領域だけでなく、私達の生活の実際的な部分において現れる。主なる神の恵みが臨む時、地は豊かさと祝福で満たされる(12節)。「荒れ野の原にも滴り/どの丘も喜びを帯とし/牧場は羊の群れに装われ/谷は麦に覆われ」(13~14節)ることは、主なる神の恵みの御業である。
 主なる神の恵みは私達の人生を豊かにする。主なる神は私達がイエス・キリストにあってその恵みに生きることを願われている。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」(ヨハネによる福音書15章5節)。