Soli Deo Gloria

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書の黙想と適用 詩編67編1~8節

聖書の黙想と適用 詩編67編1~8節(新共同訳 旧約p.899)

(1) 御救いを全ての民が知るために(1~3節)

 詩人は「神がわたしたちを憐れみ、祝福し/御顔の輝きを/わたしたちに向けてくださいますように」(2節)と祈りを献げた。光が暗闇を照らし、方向を示すように、主なる神がご自分の民を照らし、命を与え、暗闇を退けて下さることを詩人は求めた。
 その上で、詩人はイスラエルに示された主なる神の道と「御救いをすべての民が知る」(3節)ことを願った。これこそ主なる神が全人類のためにイスラエルの民を選ばれた理由であった。
 イスラエルの民は主なる神から与えられた使命を全う出来なかった。そればかりか、主なる神への信仰すらもまともに守れなかった。それでも、主なる神は契約に真実であられた。イスラエルの民を通してこの世にご自分の御子イエス・キリストを送られ、全ての民族を祝福された。

(2) 全ての民が主なる神に感謝を献げるために(4~8節)

 詩人は、「地の果てに至るまで/すべてのものが神を畏れ敬い」(8節)、「すべての民」が主なる神に「感謝をささげ」(4節、6節)、「喜び祝い、喜び歌」(5節)うようになることを切に祈り求めた(4節)。
 主なる神は「すべての民を公平に裁き/この地において諸国の民を導かれる」(5節)。そして、私達が主なる神に従う時、「大地は作物を実らせ」(7節)るなど、主なる神から豊かな祝福を与えられる。主なる神に仕えることは、いつもこの方から恵みを受けるということをも意味する。
 主なる神は私達の必要を満たして下さる。それ故、私達は喜びをもって主なる神を讃美し、礼拝し、仕えることが出来る。