Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 詩編68編20~28節

聖書研究 詩編68編20~28節(新共同訳 旧約pp.900-901)

(1) 主なる神の救いと裁き(20~24節)

 主なる神は「日々、わたしたちを担い、救われる」(20節)。それは主なる神がとこしえに私達の全ての問題を解決して下さることを意味する。事実、主なる神は、イスラエルの歴史の中で、彼らの重荷を背負い、彼らの代わりに戦われた。私達の救いは「わたしたちの神、救いの御業の神/主、死から解き放つ神」(21節)にかかっている。
「神は必ず御自分の敵の頭を打ち/咎のうちに歩み続ける者の/髪に覆われた頭を打たれる」(22節)とダビデは歌う。「頭」は人間のあらゆる考えと意思の根源を指している。主なる神がこれを「打たれる」というのは、敵の悪い企みは勿論のこと、彼らの存在すらも滅ぼされることを意味する。
 主なる神は、ご自分に敵対する者を打ち、彼らの罪を必ず裁かれる。「あなたは敵を打って足をその血に浸し/あなたの犬も分け前として敵の血に舌を浸す」(24節)という表現は、主なる神の敵が悲惨な最期を迎えることを示している。

(2) 主なる神の行進(25~28節)

「神よ、あなたの行進が見える。わたしの神、わたしの王は聖所に行進される」(25節)とダビデは言う。彼は、「聖歌隊」(27節)を伴った主なる神の行列が、聖所に向かう様子を思い浮かべている。
 主なる神の行列は、「歌い手を先頭に」、「楽を奏する者」、「太鼓を打つ」「おとめら」がその後に続く(26節)。また、その行進の中には「若いベニヤミン」、「ユダの君侯ら」、「ゼブルンの君侯ら」、「ナフタリの君侯ら」もいた(28節)。これら4つの部族は、イスラエルの全部族を代表して、「イスラエルの源からの主」(27節)である神を力強く讃美した。
 かつてイスラエルを救い、その重荷を担われた主なる神は、今私達と共におられる。そして、私達の重荷を担って下さる。それ故、主なる神の御前に出ることほど、私達にとって嬉しいことはない。主なる神と交わりを持つ時、私達の飢え渇いた魂は、命の水を飲むのと同じ恵みを経験する。